春な忘れそ 〜 外来つれづれ日記 1 〜

目次  1 部屋で日焼け  2 理解と同情  3 ムーンフェイス



1 部屋で日焼け
 SLEでは、日焼けは病状を悪化させる場合があるので厳禁!というのはわかってることだったので、病院で診断がついた1年前から私は日焼けしないように気を配ってきました。
#なので、ただでさえ白いのに追い打ちをかけている状態です。

 でも、ある日の外来、主治医のS先生は私の顔を見て、「日焼けしてますね〜。どうしたの?」と言いました。(川平慈英風に)そおーなんですっ、私、日焼けしちゃったんですぅ!(涙) また、それも部屋にいてからですから、何ともお間抜けちゃんです。

 その日は冬にしては、すこぅしだけ暖かい晴れた日でした。いつもの様にお昼の片づけをした後、部屋でひっくり返ってると暖かさからか?いつもの習慣からか?睡魔がやってきて、これまたいつもの様にお昼寝してしまいました(苦笑)
 どのくらいの時間が経ったのでしょうか? 私はまぶしくて、顔が熱いのに気がついて起きました。なんと、部屋の中に日の光が差し込んできて、私の顔に当たっているではあ〜りませんか! 一応、白レースのカーテンをひいてあったのですが、役に立ってなーい!(涙)
 私の部屋は南向きで、夏場は太陽の高度が高くなるので部屋に日は射し込まず、冬場はその逆で日が射し込んでくるという、結構良い部屋なんですが、それがあだになりました。それに、頭を南にして寝てたから、よけい日に当たりやすくなってるじゃん、うわー! ・・・日焼けするくらい長時間、日に当たっても気づかなかった主も馬鹿じゃ、という突っ込みもありです、はい。
 かくして、私の顔には蝶型紅斑、胸中には失態への悔しさが残ったのです。

 で、先生に上記のことを言ったら、診察室で笑われてしまいました。笑われてもしょうがないわ〜。でも、笑えるレベルの日焼けで良かったというところですね。
 それからというもの。今は、白レースカーテンに洗濯ばさみでスカーフ大の布を止めている私です。だって、内にあるカーテンは分厚くて、ひくと部屋が暗くなって嫌なんだもん。

 ほんと、皆さんも?日焼けには気をつけましょう〜(苦笑)



2 理解と同情
 家事手伝い補佐(^^;)の私の仕事の中に、家族のもろもろの用事があります。その用事、父のお使いでちとへまをしました。
 致命的なものでなく、後で処理がちょっと難儀という程度らしいですが、怒っていました。私が悪いというのも認めるけど、不当だなと思うところがありました。
 父はよく私を怒る最後に、「仕事したことないからわからないと思うけど、こんな事では社会に出てやっていけないぞ」と言います。
 最近この言葉は、私を叱る時の決め言葉になっているようです(苦笑)
 …ふむ。大学を卒業して仕事をしたことがないから、そう言われても仕方ないけどね。しかし、この言葉は神経を逆なでしてくれます。「こっちだって、好きでこんな状況になってるんじゃないやい!」ってね。(…日常生活に戻ろうという努力が足りないという声も有り(^^;)) ここのところ、家族なんだからさ〜、もう少し理解して欲しいよな〜っと、ため息をついたりするわけです。
#私の言い分もも自分勝手だと思いつつ(苦笑)
 しかし、家族にでさえ理解してもらえないことがあるのだから、他人に理解して欲しいと望むのは、なおの事難しいのかもしれません。

 それで。たまに考えるのが、理解と同情についてです。
 この二つの言葉…ここに書く前に何が違うんだと思って、取りあえず辞典をひいてみました。
 同情:他人の気持ちや境遇、特に悲哀や不幸をその身になって思いやること。
 理解:相手の気持ちや立場に立って思いやること。
…と、私の使ってる辞典では、大差ない意味の様に思います。それとも、分厚い広辞苑あたりだともっと粋な訳になってるんでしょうかね?
 でも、この二つの言葉は、私には使われてるイメージで明らかに違いがあります。同情は上下の立場にあり、理解は対等な立場にあるというものです。
 「病気と言うことで同情されたくない」という言葉を聞いたりすることがあるんですけど、それは「病気だなんてかわいそう」と、自分が相手に見下されてるという印象を受けるからではないかと考えています。同情する方は、同情される側より立場が上で、同情される側と違う世界にいるような気がするのです。他人事な感じがして。そう考えるなら、確かに同情されるのはいい気持ちではないですからね。

 私は、かわいそうという言葉を言ってしまうと、他人事のような気がするので、あまり使いたくないです。
 前に、俳優のマイケル・J・フォックスが、パーキンソン病であるというニュースを聞いた日に、ラジオでリクエストする際のコメントで、その話題を書きました。コメントで「彼が病気だなんて…」と書いた所を、パーソナリティさんが「彼が病気だなんて、かわいそう」と読みました。私は「そんな大変な病気を告白した勇気をすごい、同じ病気の人には励みになるだろう」と考えていたので、かわいそうなんて使って欲しくなかったですね。すぐ文章で「…」を使ってしまう私のせいでもあるだろうけれど。

 ちなみに同じ病気の人だと、理解…と言うより、共感という事ができると思います。
 共感:他人の考え、主張、感情を、自分もそのとおりだと感じること。
共感できるから理解できるという事になるのでしょうか。…何だか、言葉のやりとりにすぎない気もしてきますが。
#これらは、心理学においては、また言葉の定義が違ってくると思いますけど。
 私には、現実のつきあいで密に連絡を取って、病気の悩みを共感し理解しあえる同病の友人は、残念ながら?いませんでした。それを苦に思っていなかったのは、ゴーイング・マイウェイだからかもしれませんが(苦笑)、ネットを通じて色々な方と出会ったこともあります。そうして、やりとりすることで辛い時など共感・理解ができるし、してもらっています。

 っと、偉そうなことを書きましたが、私も混乱してるんだろうなあ。うん、してる。しかし、話すことが理解につながると私は思っているし、この病気を知ってもらう事なしでは、私の行動や思ってる事を分かってもらえないと考えているので、他人に同情をひきたいと思われようとできるだけ色んな事を素直に話したいな。
 でも、真面目に話しすぎるので、口うるさいとか気難しいと思われてたりしてね(苦笑)



3 ムーンフェイス
 薬 プレドニンの、軽度だけど気にする副作用についてです。

 プレドニンには色々な副作用がありますが、ムーンフェイスは単語の表す意味そのまんまの、顔が満月のように丸くなるという副作用です。私は実際見たりして知ってはいたけど、自分がなってみるとなかなかショックだったりします。だって、写真に写っている自分を見ると、ただでさえ目立っていた頬が、紅斑とムーンフェイスによりはちきれんばかりですから(^^;)

 入院して薬を使う時から、たぶんムーンフェイスになるだろうなあと覚悟して居ました。その時は「あの眠れないほどの痛みがとれるのなら、見栄えが悪くなるくらいかまわない」と思ったもんです。が、きちんとしたカロリーの病院の食事で体重が落ちた後に、もう一つの副作用の食欲昂進(売店攻略)により少し太った事もあって肉のつき方が違うのか、前より数字的にはやせているのにこの顔はなんじゃ!と言いたくなる位まん丸いのです。それに、首の後ろにもポッコリお肉がついているので、自分の姿を鏡で見ると「うっ(涙)」と思います。 薬が効いて病状が落ち着く程、そう思ってきました。

 看護婦さんは「顔と首の後ろにつくのよね〜」と言いましたが、本当どうして年ごろの乙女の気にする所に出るんでしょう! 私なんかMax6錠(30mg/day)飲んでて、そう思うんだから、10錠とか飲んでいる人はもっとでしょうね…。 私の場合は、薬が減ってしばらくすると、たまに私を見る人達は「やせた?」と聞いてくるので、薬が減ればムーンフェイスの程度も改善されてくることは確かだと思います。
 病気になってから…特に入院してから「昔はこうだったのに」とは言うまい・思うまいと考えているけどね。でもやっぱたまに、素地はよくなかったけど、昔のほうがまだ可愛かったな〜と思うのです。
 重大な副作用から比べたら、見栄えがどうのこうのって言ってられるのは、まだマシなんでしょうね。それなので前向きにと、ムーンフェイスながらもできるだけ可愛く写る方法をプリクラで練習中です(^^;) 結構面白いですよ。…にっかり笑うより微笑む程度で、顔を前に出す様にとか、髪をおろした方がいいとか、(私は)丸襟よりVネックや襟のあるものが似合ってるとか…。色々分かってきました。…分からなさすぎでしたかね?(笑)

 もし、ムーンフェイスでも、楽しく過ごせる事があったら教えてくださいね(^-^)。