【那覇支局】太平洋戦争中に疎開した県出身者と疎開地で世話した人たちが集う式典と交流会(主催・県)が十日、那覇市内のホテルで開かれた。宮古関係では台湾に疎開し帰りの引揚船「栄丸」で遭難に遭った島尻哲夫さん(75)=旧平良市鏡原=と、島尻さんを救助した台湾の張添茂さん(78)が約十年ぶりに再会。二人は握手を交わし、再会を喜び合った。
島尻さんは戦争が激しくなった一九四三年、高校生のころ家族とともに台湾に疎開した。
同地で終戦を迎え、四五年十一月一日午後六時ごろ、家族四人で「栄丸」に乗った。約一時間後にエンジンが停止し漂流。荒れ狂う高波に多くの人がさらわれ、船も間もなく沈没。島尻さんは父と姉二人を亡くした。栄丸遭難では、乗客百五十四人中、約百人が犠牲になった。
張さんは当時、基隆の海岸部に住み、栄丸を目撃。見守っているうちに、遭難者が流れ着き、数が多かったため、親類に連絡し救助に当たった。張さんらは十八人を救助。生存者の一人が島尻さんだった。
島尻さんはつてを得て、翌年の十二月宮古に帰った。
高校を卒業し数年間勤めた後、恩に報いるため、張さん探しの旅に出た。しかし、張さん一家は転居していて見つからなかった。五年目にようやく再会。それから、父と姉二人の三十三回忌まで、三十年近く台湾に行き交流を続けた。七八年には、張さんの母校に放送機材も寄付した。
会場で二人は、笑顔いっぱいにあいさつ。島尻さんから手土産も手渡された。
島尻さんは「懐かしい」と述べ、感無量の様子。張さんは「とてもうれしい。天に昇ったような気分」と話した。
写真説明・握手を交わし再会を喜ぶ島尻さん(左)と張さん=10日、那覇市内のロワジールホテルオキナワ
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