200平成17  10曜日

新生・宮古島市が始動/住民主体の行政運営に決意

1.jpg (25209 バイト) 平良市、城辺町、伊良部町、下地町、上野村の五市町村が合併して十月一日に誕生した宮古島市(川田正一市長職務執行者)は三日、五庁舎で開庁式を行い、本格業務をスタートさせた。旧平良市役所の本庁舎では、川田市長職務執行者と旧市町村長の五人が「宮古島市役所」の銘板を除幕。開庁式には、市職員をはじめ、旧市町村の三役や議会議員ら関係者が多数出席し、市旗掲揚やテープカットを行って、宮古島市の本格的な始動を喜んだ。

 宮古島市役所本庁舎の開庁式では冒頭、北小学校の児童らが、晴れやかな青空に向かって市旗を掲揚。川田市長職務執行者は「本日から各庁舎において業務が始まる。住民サービスを低下させることなく、市民が合併して本当に良かったと感じられるような行政運営の遂行に、職員共々努力していく決意をしている。市民の皆さんの支援・協力をお願いしたい」とあいさつした。
 宮古五市町村合併推進協議会会長も務めた伊志嶺亮旧平良市長が「私たちはいよいよ歴史的な第一歩を踏み出した。約三年間もの時間をかけて、市町村合併に向けさまざまな議論を重ね取り組んできたが、合併を成し遂げたことが到達地点ではなく、新たな歴史のスタート地点。スムーズな市民サービスと効率的・効果的な行政運営に励んでいただきたい」と祝辞を述べた。
 また池間青昌旧平良市議会議長は「結婚に例えるなら互いをよく知る幼なじみが結婚をしたのだから、この合併は素晴らしい結果を導くものと確信している。全市民の福祉向上のための合併であるということを深く認識し、合併効果を最大限に引き出して、全力で新しい時代に対応できる体制を構築してほしい」と願った。
 兼城克夫県宮古支庁長は「住民や関係者の尽力で宮古島市は大きな海原へと旅立った。地域の特性を生かした豊かで活力ある宮古島市建設に向け、みんなが力を合わせ、一致協力しながらまい進してほしい」とエールを送った。
 あいさつに続き、川田市長職務執行者、伊志嶺氏、池間氏、兼城支庁長、児童を代表して北小学校六年の平良真輝君の五人が、テープカットを行い、本庁舎が開庁した。
 各部署では早速、業務が始まり、市民らが窓口に訪れた各種手続きなどを行った。第一号で住民票交付を受けた下地則子さん(51)は「昼から仕事だったので早めに来た。一番になれたのはうれしい」と照れた様子だった。

 写真説明・「宮古島市役所」の銘板を除幕した(左から)仲間克旧城辺町長、旧上野村長の川田市長職務執行者、伊志嶺旧平良市長、川満省三旧下地町長、浜川健旧伊良部町長=3日、宮古島市役所本庁舎

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調査委立ち上げ全容解明へ/久松郵便局の貯金流用問題

2.jpg (33531 バイト) 自治会によると、少なくても十年間は郵便局が発行した偽の残高証明で監査が行われており、「金銭の流れに不明な点が多い」として調査委員会の発足を決定。元自治会役員ら二十人で組織し、不明金の正確な額、元郵便局長、夫の関連性などについて調査する。
 午後三時から久松地区公民館で開催された臨時総会は大勢の地域住民が出席。自治会側から経過説明が行われたほか、元郵便局長の夫が事情を説明した。元郵便局長も出席したが、うつむいたままほとんど発言せず、途中で退席した。
 夫は元郵便局長の不明金の使途について「私では答えかねるが、一部流用があったと思う」と関連性を否定した上で、「今回の問題で皆さんには迷惑を掛けた」と繰り返し謝罪。寛大な配慮を求めた。また、夫を含む現在の監査役三人の辞職も承認された。
 現在判明している不明金三千三百万円の内訳は、同自治会の二〇〇四年度決算によると、実際には開設されていない定期貯金の二千四百万円と八百万円、普通貯金に入っていた百万円。
 元郵便局長らが持ち掛けた、不明金の返却金について同自治会は「個人名義の金を持ってきても受け取りはできない」として改めて受け取りを拒否した。
 自治会は、日本郵政公社沖縄監査室に〇三年、〇四年度の自治会監査に提出された偽の残高証明書を七月に証拠品として提出。自治会によると、同監査室は歴代の自治会役員に詳しい事情を聞くなどして調べを進めているという。
 宮古島市平良の松原自治会(高里義市会長)が旧久松簡易郵便局に預けた約三千三百万円の所在が不明になっている問題で、同自治会は二日、非公開で臨時総会を開き、不明金の行方など問題の全容解明を目指す調査委員会発足を決めた。同自治会では、定期貯金の利息分など被害額は今後も増えるとの見方で、調査の結果を待って刑事告訴も視野に入れ協議する。出席した自治会監査を務める元局長の夫は、元局長の一部私的流用、残高証明書などの偽造を認め、謝罪した。

 写真説明・3300万円の不明金が生じ、緊急に開かれた臨時総会=2日、久松地区公民館

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泥べっとり・厄払い/平良字島尻 集落内にパーントゥ現る

 人や家に泥を塗り付けて厄払いを行う平良字島尻の伝統行事「パーントゥ」(国指定重要無形民俗文化財)が旧暦九月の吉日に当たる三日から始まった。夕方になると三匹のパーントゥがどこからともなく現れ、住民や観光客らを見つけて手当たり次第に泥を塗り付けて厄を払った。
 パーントゥは百数十年も前、島尻集落発祥の地である元島の西海岸(クバマ)に漂着した仮面がきっかけになった。この仮面を世持神の来訪とあがめた村人が、仮面をかぶって駆け回ったことが始まりとされる。
 パーントゥ初日の字島尻は地元住民だけでなく観光客ら集落内外の人出でにぎわった。全身につるを巻き泥を塗ったパーントゥは夕方に現れ、逃げ回る住民や観光客に容赦なく泥をべっとり。泥を塗られた人たちの中にはパーントゥの容姿や行動を観察し、伝統行事の奥深さに感嘆の声を上げる人もいた。泥を塗られた新城建良さん(30)は「泥は気持ち悪いけど厄払いができて良かった」と苦笑いで話していた。
 パーントゥはきょう四日まで行われる。


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伝統の「イーウキ漁」に挑戦/西辺中先人の知恵に学ぶ

4.jpg (34450 バイト) 宮古島市立西辺中学校(平良勝也校長)の生徒らは二日、大浦湾の入り江で周辺地域の漁民らに伝わる「イーウキ漁」の体験学習を行った。西辺地区の漁師や父母の協力の下、生徒らは伝統漁法に初挑戦。浅瀬に設置した網に魚を追い込み、歓声を上げて漁獲を楽しむとともに、先人の生活の知恵と技を学んだ。
 この体験活動は、海を大切にする心を育てるとともに、地域の歴史を学ぼうと実施した。生徒らは、干潮のタイミングを見計らって大浦湾に集合。湾内で泳ぐ魚が沖に移動しないよう、早朝の満潮時にあらかじめ縦に設置した網に向かって一斉に魚を追い込み、手づかみで次々に漁獲。網の周りで待機していた大人たちの指導を受けながら魚をつかんではかごに移し、「イーウキ漁」の特色を知るとともにこの日の大漁を喜んだ。
 西辺地区の漁師・楚南幸博さん(54)によると、「イーウキ漁」は大浦湾の入り江で百年以上続く伝統漁法だという。近ごろは、自給程度にしか行われていないが、楚南さんが子供のころには釣果を市場へ売りに行く大人たちの姿があったという。
 漁が終了すると、生徒らは南クロダイやハダラなどの釣果を学校に持ち帰り、父母の協力の下で調理された新鮮な魚料理に舌鼓を打った。
 参加した友利亜美さん(一年)は「足が泥にはまって大変だったけど楽しかった。昔の人の様子がよく分かった」と感想を話した。

 写真説明・伝統漁法「イーウキ漁」に挑戦する西辺中学校の生徒たち=2日、大浦湾

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Tシャツデザインコン作品を募集/産業まつり実行委

 「あなたらしさで宮古島をデザインしよう!」をキャッチフレーズに、第二回宮古島Tシャツデザインコンテスト(主催・宮古の産業まつり実行委員会)が開催される。作品の応募期間は三日から十一月十五日まで。テーマは「宮古島市誕生」。南国宮古島の良さ、元気さが伝わるオリジナル作品を募集している。プロ・アマ、年齢は問わず、未発表のオリジナル作品であることが条件。使用する色は四色まで。特典としてグランプリ作品は商品化される。問い合わせ、申込みは宮古の産業まつり実行委員会(電話72・2779)、宮古観光協会(電話73・1881)まで。
 同コンテストは、宮古らしさをイメージしやすく手軽に購入できるTシャツの土産産業にのっとり、一般市民や中高生のデザインを公募し商品化することで宮古圏域の活性化を図る目的で開催。応募作品は十一月十九、二十の両日にうえのドイツ文化村で開催される宮古の産業まつり会場で展示される。初日の十九日に全作品が展示され、二十日に審査を実施し表彰を行う。審査は一般客の投票などを基に、観光協会関係者らが当たる。
 三日、宮古観光協会で会見が行われ、吉瀬武副会長やミス宮古の竹井穂香さんらが多くの募集を呼び掛けた。


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   宮古島市と共に産声/池間さんの長男

6.jpg (30170 バイト) 宮古島市と共に産声―。宮古島市が発足した一日、初の同市出身者となる男の赤ちゃんがみやこ母子クリニック(砂川恵栄院長)で誕生した。母子共に健康。母親の池間智秋さん(26)は「生まれ持った運の強さや可能性の大きさを感じる。元気に成長して」と幸せいっぱいだ。
 赤ちゃんは三千五百八十cで生まれた元気な男の子。池間さんの初めての子供で、名前はこれから決める。当初、池間さんの出産予定日は九月二十八日だったが、おなかの中にいるときから「(新市発足の)十月一日に生まれて来てね」と話し掛けていたという。出産時は、陣痛が本格化してからもなかなか分娩に至らず、急きょ帝王切開に切り替える難産となったが、十月一日の午後七時四十九分、元気いっぱいの産声が響いた。
 池間さんは「親の思いが伝わったようでびっくりしている。『一日に生まれてくれてありがとう』と話し掛けると、心なしか私の顔を探しているような表情を見せた」とにっこり。「優しくて人の痛みが分かる子に育ってほしい。もう少し大きくなったらエイサーを習わせたい」と母親になった喜びを語った。
 砂川院長は「難産だったが無事に生まれて良かった。おめでとう」と祝福した。

 写真説明・宮古島市発足後初めて誕生した赤ちゃんと母親の池間さん=3日、みやこ母子クリニック

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