200平成17  922曜日

「宮古島市」に希望/城辺町・輝かしい歴史に幕

1-1.jpg (36280 バイト) 十月一日の合併により宮古島市が発足することに伴い城辺町、下地町、上野村の三町村は二十一日、閉町・村記念式典ならびに祝賀会を開催した。各町村には大勢の関係者が集い、最後の町歌や村歌を斉唱したほか、町旗、村旗を降納して長年の歴史に幕を下ろした。式典出席者はそれぞれの町村の歴史を振り返るとともに、新たに誕生する宮古島市の発展を誓い合った。
 城辺町政施行から五十八年、城辺村誕生の日から数えると九十七年が経過した城辺町(仲間克町長)の閉町記念式典は午後三時から同町農業者トレーニングセンターで挙行された。会場には町議会議員をはじめ町職員、関係機関・団体の代表者ら大勢が出席した。
 はじめに仲間町長が式辞を述べ「城辺町の名を未来永劫に伝え、地域のさらなる躍進を願うことを目的に式典を挙行している。城辺町で継承されてきた地域の歴史や伝統文化は、次の世代に引き継ぎ『宮古島市』発展につなげることが重要だと考えている」と合併の意義を強調し、城辺地域の継承と宮古島市の発展に期待を込めた。
 続いて、同町議会の伊志嶺幹夫議長が「一抹の淋しさを覚えるが、新しい宮古島市の誕生に大きな希望を持ち、宮古島市でのさらなる発展を願いたい」と述べた。
 稲嶺恵一知事の来賓祝辞を県宮古支庁の兼城克夫支庁長が代読。「今日の発展は町民の皆さんの努力のたまもの」と同町の歴史を振り返った。その上で「県として新市における合併効果が十分発揮されるよう支援していきたい」と述べた。宮古郡区選出の砂川佳一県議は「(閉町は)未来・将来に羽ばたくための脱皮であり、次の世代へ引き継ぐ舞台づくりの幕引きになる」と述べ、合併後のさらなる飛躍に期待を込めた。
 西城小学校六年の下地絃太君は「すばらしい城辺町」と題した作文を発表し「城辺町が宮古島市に変わります。それでも城辺のすばらしい場所や景色、自然が、これからも変わらないよう大切に守りたい」と話した。
 最後に町内の児童生徒の手によって町旗が降納された。仲間町長をはじめとする式典出席者は静かに降ろされる町旗に目を細め、五十八年間続いた城辺町の長い歴史に思いをはせていた。
 式典終了後は同町農村環境改善センターで祝賀会が行われた。婦人連合会や青年団協議会、皆福婦人会の余興が行われる中で、参加した関係者の多くが城辺町政五十八年の歴史を振り返るとともに、十月一日にスタートする宮古島市の発展を誓い合っていた。

 写真説明・大勢の関係者が集い城辺町政58年の歴史を振り返った=21日、城辺町農業者トレーニングセンター

top.gif (811 バイト)

歴史に思い、新市に期待/閉町・村式で気持ち新たに

 十月一日の市町村合併に伴う下地町(川満省三町長)と上野村(川田正一村長)の閉町・閉村式が二十一日、各町村で行われた。三役や役場職員、関係者多数がこれまでの歴史に思いをはせるとともに、十月一日から始まる宮古島市としての新たなスタートに期待を寄せた。

下地町
2-1.jpg (27253 バイト) 下地町の閉町式は同町農村環境改善センターで開かれ、五十六年間にわたる「下地町」の歴史に幕を閉じた。あいさつに立った川満町長はこれまでの歴史を振り返り「合併により下地町はなくなるが、町民の皆さんは下地町の町民であったという誇りを持ち、新しい時代のまちづくりに積極的に参加していただきたい」と述べ気持ちを新たにした。川満廣俊議長は「合併を契機に下地、平良、城辺、伊良部、上野の素晴らしい特性と文化を融合しさらなる活気と希望にあふれた心豊かな宮古島市建設を目指し頑張っていく」と意気込みを見せた。このほか、稲嶺恵一知事(代読)、砂川佳一県議もそれぞれあいさつを述べ宮古島市としての発展を願った。
 町旗降納も行われ、下地小学校児童会長の池間圭輔君(六年)、副会長の源河章乃さん(同)が舞台に掲げられた町旗を降ろし川満町長に手渡した。川満町長は折りたたんだ町旗を箱にしまい、五十六年間掲げ続けた町の「証し」のふたを閉じた。
 下地町は一九〇八年四月、沖縄県島嶼町村制施行とともに下地村として創立。四八年八月には軍政府認可により下地村から上野村が分村し、四九年一月一日、「下地町」に昇格し町政が施行された。今年は下地村創立から九十七年、下地町としては五十六年を迎えた。

 写真説明・役場職員や関係者が多数出席し、56年にわたる下地町の歴史に思いをはせた=21日、下地町農村環境改善センター

上野村
2-2.jpg (31926 バイト) 十月一日の新市「宮古島市」の誕生を控え、上野村(川田正一村長)は二十一日、上野村営体育館で閉村式典を開いた。大勢の住民や同村議会議員、村役場職員らが出席。川田村長は「上野地域の歴史、文化、伝統などの歩みを次の世代へ引き継ぐとともに、宮古島市の地域発展につなげることが重要」と新市誕生の喜び、閉村の寂しさを交錯させた表情をにじませた。同村は今月三十日に開かれる「閉庁式」で五十七年間の歴史に幕を閉じる。
 上野村は一九四八(昭和二十三)年に下地村(現在の下地町)から分村。「村づくりは人づくりから」を指標に、歴代村長や職員、村民が一丸となって村政に取り組んできた。
 式典で川田村長は「近年の地方分権の推進、住民ニーズの多様化、日常生活圏の拡大など地方を取り巻く厳しい環境に対応するため」などと市町村合併を決意した経緯を改めて説明。「村民の皆様も新市誕生の重要性を理解し、地域振興のため力を貸してください」と述べた。
 同村議会の平良隆議長は「住民、行政、議会が一丸となって宮古島市のまちづくりに取り組まなければならない」とあいさつした。
 稲嶺恵一知事(代読)、竹林義久沖縄総合事務局長(代読)、県町村会会長の宮城篤実嘉手納町長(代読)がそれぞれ式辞を述べ、宮古島市の発展に期待を寄せた。
 式典では、川田村長が同村の発展に貢献した十二人を表彰したほか、三十年にわたり上野村内の不発弾処理に尽力した陸上自衛隊不発弾処理隊らに感謝状を手渡した。
 また、祝賀会では砂川功前村長、砂川佳一県議らが乾杯の音頭を取ったほか、同村老人クラブ、青年会、同村出身の歌手、上地雄大さん、真也よう子さんらによる余興が披露され、盛り上った。

 写真説明・式典で川田村長が宮古島市発足に向け式辞を述べた=21日、上野村営体育館
top.gif (811 バイト)

緊張の中にも晴れ晴れ/西銘、下地氏が初登院

3-2.jpg (21527 バイト)3-1.jpg (21147 バイト) 特別国会が召集された二十一日、第四十四回衆院選で当選した議員らが初登院した。宮古を含む沖縄4区で再選された西銘恒三郎氏(51)=自民=、沖縄1区の激戦を制し、二年ぶりの国政復帰となった平良市出身の下地幹郎氏(44)=無所属=も笑顔で登院し、国政での活躍に決意をみなぎらせた。
 このほか、沖縄2区の照屋寛徳氏(60)=社民=、同3区の嘉数知賢氏(64)=自民=、比例代表九州ブロックで当選した仲村正治氏(74)=自民=、赤嶺政賢氏(57)=共産=、安次富修氏(49)=自民=の五人も晴れ晴れと初登院を果たした。

 写真説明・総選挙後の初登院で決意を新たにした西銘氏(右)、下地氏=21日、国会議事堂

top.gif (811 バイト)

乗っ取られた船入港を想定/テロ対策で合同訓練

4-1.jpg (28916 バイト) 平良海上保安署や宮古警察署、平良市役所港湾課、宮古広域消防本部などによる「平良港テロ対策合同訓練」が二十一日午前、同港内で初めて行われた。参加者約百人が緊密な連携・協力のもと、本番さながらの大規模な訓練を展開した。
 米国では二〇〇一年九月に同時多発テロが発生。さらに今年七月にはイギリス、エジプトで相次いで同時多発テロが発生し、依然テロ情勢は厳しい状況だ。このような状況を踏まえ、昨年七月一日に施行された国際船舶・港湾保安法に基づき、今回は合同訓練が実施された。
 関係機関相互の緊密な連携、協力のもとに実践的な総合訓練を行い、連絡、協調体制を確立し、迅速な対応活動を実施するとともに、広く保安対策の普及・啓発を図ることが目的。
 この日の訓練は、乗組員を人質に取り、船を爆破すると脅迫している数人のテロリストが乗船している外国貨物船K号が平良港に入港してくるとの想定。
 緊急事態にヘリ一機と巡視艇などが出動。厳戒体制の中、沖合で乗っ取られた船は入港。外国人テロリスト二人は、人質を殺すと叫ぶなど緊迫状態に包まれた。船が接岸したところで、警察官らが慎重に突入し、テロリスト二人を逮捕。けがを負っていた人質一人は病院へ搬送された。船内での捜査では新たなテロリストや不審者は発見されず、厳戒体制は解除された。
 同訓練終了後、港湾管理者の平良市の下地学助役は「各機関が冷静沈着、迅速的確で素晴らしい訓練だった」などと講評した。

 写真説明・訓練ではテロリストを逮捕した=21日、平良港

top.gif (811 バイト)

子供たちが組踊を観賞/「執心鐘入」伊良部町で上演

5-1.jpg (21713 バイト) 国指定重要無形文化財の組踊「執心鐘入」を上演する「児童生徒の組踊鑑賞会」(主催・県教育委員会)が二十一日、県内での上演の先陣を切って伊良部町中央公民館で開かれた。町内の全小、中学生や住民らが鑑賞し、独特の節回しのせりふやストーリー展開に感動し、大きな拍手を送っていた。きょう二十二日は午後一時三十分から、平良市立狩俣中学校体育館で開催される。
 組踊は、せりふを主として歌(音楽)と踊りで筋を運ぶ形式の歌舞劇(演劇)。「執心鐘入」は、今からおよそ二百八十年前に、玉城朝薫が作った作品。
 「執心鐘入」は、美少年の中城若松が奉公のために首里城へ向かう途中の一軒家で、留守番の娘と出会う。若松は娘の誘いを断り、逃げた。娘は恋が実らず鬼女となった。お坊さんと小僧がお経を唱え、鬼女を説き伏せて退散させるというストーリー。
 子供たちは事前に学習していたことから、見どころの場面では真剣な表情で見入っていた。
 同鑑賞会は、組踊を学校教育に取り入れることによって、児童生徒に郷土芸能への理解と関心を深めさせ「心の教育」に寄与すると同時に、組踊の県内での普及・啓発の基礎づくりをすることと、若手実演家に表現活動の機会を確保することにより後継者の育成を図ることが目的。

 写真説明・鬼女(左)を退散させるためお経を唱えるお坊さんと小僧=21日、伊良部町中央公民館

top.gif (811 バイト)

   子供たちが厄払い/平良市十五夜にシーシャガウガウ

6-1.jpg (27700 バイト) 「十五夜」に当たる十八日夜、平良市の市街地では子供たちが手作りの獅子で厄払いを行う「シーシャガウガウ」が出没した。子供たちは民家や企業を訪れて「シーシャーガウガウ、シーシャーガウガウ」と連呼しながら厄を払っていた。
 「シーシャガウガウ」は市街地で子供たちに受け継がれている十五夜行事。板や麻袋などで作った獅子をかぶって踊りを披露する。住民や店主らは小銭や菓子などをお礼に配っていた。
 市内のある洋品店では子供たちが「家内安全、商売繁盛」と連呼しながら店の中で口をパカパカと開け閉め。首を振ったり飛び跳ねたりと、自分たちで考えた独自の踊りを披露した。
 砂川正行君、仲間大貴君、友利俊貴君(ともに北中一年)の三人は西里通りの商店街を回り力強く舞を披露し「シーシャガウガウは毎年やっている。十カ所ぐらい回った。お菓子やアイスがもらえた」と笑顔を見せた。

 写真説明・手作りの「シーシャ」が企業などを訪れ厄を払った=18日、本社
 
top.gif (811 バイト)