200平成1 6  1 27 曜日

「大変残念な結果」/合併協議会・伊志嶺会長が会見

1-1.jpg (12885 バイト) 伊良部町で25日に行われた合併の意思を問う住民投票で「合併反対」の意見が多数を占め、浜川健町長も宮古地区合併協議会から離脱する方針を打ち出したことを受け同協議会長の伊志嶺亮平良市長は26日、マスコミの取材に対して「6市町村合併でスムーズにいくと思っていたので大変残念に思う。町議会、町長もあまり早い決断をしないでほしい」と述べた。
 伊良部町民の下した判断については「全国的に見ても多くの自治体で来年度予算を組めない状況であり、その中で町民がその実情を理解して投票すると思っていたのでショックな面もある」と述べた。今後予定されている多良間村、下地町での住民投票については「今の感じとしては少なくとも宮古島内の4市町村は合併に向け進んでいくと思うし、そのように頑張りたいと思っている。また、できれば多良間も参加してほしいと思っている」と説明した。
 また、伊良部町が同協議会を離脱し、その他の町村の一部も離脱した場合については「今後、離脱の自治体があっても残った自治体で合併していける」と述べた。

 写真説明・伊良部町の住民投票結果を受け、心境を話す宮古地区合併協議会長の伊志嶺平良市長=26日、平良市役所所

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多良間はきょう告示/合併住民投票・賛否きっ抗で激しさ増す

 【多良間】多良間村(兼濱朝徳村長)の市町村合併の是非を問う住民投票は、きょう告示される。27日から31日までの5日間、期日前投票と不在者投票が行われる。投票日は2月1日。投票率が50%に満たない場合は開票せず、上回れば即日開票となる。
 投票資格者は同村に住所を所有する20歳以上の有権者。同村選挙管理委員会(垣花清次委員長)によると、同村の有権者数は1003人(男性526人、女性477人)。投票会場は多良間小学校体育館で、時間は午前8時から午後5時まで。開票は同6時から行う。投票率が50%に満たなければ開票しない。期日前投票の会場は同村選挙管理委員会事務室。時間は午前9時から午後3時まで。
 同村では、議会議員の間で合併「賛成」と「反対」が2分。住民の間でも、合併を推進する住民グループ「多良間の未来を考える会」と反対する「多良間村の自治と自立を考える会」とで意見が対立し、村全体で賛否が拮抗している状態が続いている。兼濱村長自身も合併賛否に対する明確な態度を示していない。
 同村に先立ち、25日に伊良部町で行われた住民投票では合併反対が多数を占め、浜川健町長は合併協議会からの離脱を表明した。この影響がどう出るかが注目される。下地町では2月3日に臨時議会が開かれ、町当局が住民投票条例案を提案する。可決されれば、3月28日ごろには投票を実施したい考え。

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分 蜜糖1300トンを初出荷/宮古製糖

3-1.jpg (19224 バイト) 宮古製糖城辺工場と同伊良部工場で生産された分蜜糖の初出荷式が26日、平良港第二ふ頭で行われ、同社や琉球海運、宮古港運の役職員が集い輸送の安全を祈願した。初荷の内訳は城辺工場が600トン、伊良部工場が700トンで合計1300トン。同砂糖は横浜の東洋精糖でグラニュー糖などに精製される。
 席上、琉球海運の山城博美常務は「今年は感慨深いものがある。サトウキビは台風14号の被害を受けたが、見事に回復した。サトウキビには、強い生命力を感じる。農家の真心がこもった砂糖を横浜まで、安全に届けたい」とあいさつした。
 塩川博司宮古港運社長は、作業場に塩をまき安全を祈願。最初のダンプの砂糖が降ろされると、拍手で輸送のスタートを祝った。
 この後、宮古製糖の新里光男社長が「伊良部工場は先月28日、城辺工場が今月21日から操業を開始し初出荷となった。まずは陸上と海上の輸送が安全に行われることが大事。農家の丹精込めたサトウキビの1本1本を大切に砂糖に仕上げたい」とあいさつした。
 城辺工場管内のサトウキビ生産見込み量は9万2000トン、伊良部工場管内が5万8000トン。歩留まりはそれぞれ12・5%、11・5%を見込み、両工場合わせた分蜜糖生産は1万8170トンを予想している。1トン当たりの分蜜糖の価格は約25万円で、生産額は約45億円が試算される。

 写真説明・黄金色の分蜜糖はベルトコンベアーで新双葉丸の船倉に運ばれた=26日、平良港
 
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警備無事終え 応援部隊帰任/両陛下来島警備・

宮古署は横断幕で見送り

4-1.jpg (23078 バイト) 県内外から応援部隊として来島し、天皇、皇后両陛下の宮古島ご視察の警備に当たった約1000人の警察官が26日、任務を無事に遂行し大阪府や京都府など関西・近畿地方などへ帰任した。宮古空港では共に協力して警務を行った宮古警察署(石垣用秀署長)の署員や、街頭に詰め掛けた約3万2000人の地域住民の誘導などのボランティアとして活躍した宮古地区地域安全協力会(平良恵慈会長)のメンバーらが見送り、「ありがとう。またんみゃーち(またいらっしゃい)」と再会を誓い合っていた。この影響もあり、この日の空の便は関西や那覇への上り便は終日ほぼ満席状態。エアーニッポン(ANK)では大阪府の関西空港に向けて臨時便が運航された。

 応援部隊として駆け付けた警察官は地元の宮古署員らと協力し、車列の先導や追従、交通規制など両陛下の視察をサポートした。
 一方、国道390号や県道78号線(平良城辺線)など、島内の主要道路沿道では両陛下に一目お会いしようと約3万2000人の地域住民が駆け付けたため警察官と同協力会が協力し、ご視察の妨げにならぬよう「こちらでお待ちください」などと丁寧に誘導。地域住民も「寒くて大変だろうけど頑張ってください」と激励した。
 同空港ロビーでは同署員や同協力会のメンバーらが「タンディガータンディ(ありがとう)宮古島は温かい支援を忘れない」などと記された横断幕を掲げ、帰任する警察官に感謝のメッセージを送った。
 両陛下の宿泊場所となった下地町の東急リゾートの警備に当たった近畿管区機動隊第二大隊の宮下哲二隊長=大阪府=は「地域の方々がとても協力的でやりやすかった。任務中にも温かい激励の言葉をたくさん頂いた。宮古島のことは忘れません」、近畿管区機動隊第六大隊の松田康男隊長=京都府=は「宮古島の思い出と経験を生かし京都に戻っても職務を頑張りたい。今度は家族を連れて宮古島観光に来ます」とそれぞれ感想を話した。
 見送りに駆け付けた同署の石垣署長は「応援部隊とともに団結し、安全なご視察をサポートできたと思う」と警備に手応えを感じた様子で話し、「今回のご視察で宮古島は地域と警察が1つになれたと思う。この機会を踏まえ地域安全に全力を注いでいきたい」と決意を新たにした。
 同協力会の平良会長は「地域住民1人ひとりの協力のおかげで両陛下を無事にお迎え、お見送りすることができた」と住民のサポートに感謝した。

 写真説明・職務を無事に遂行し帰任する警察官ら=26日、宮古空港

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地域の文化振興に貢献/平良市文化協会 設立20周年・

功労者らに表彰状

5-1.jpg (29938 バイト) 平良市文化協会(立津精一会長)の設立20周年記念式典と祝賀会が26日夕、平良市内のホテルで開かれ、関係者らが多数出席して節目を祝った。立津会長は「歴史的基礎を築いた発足当初からの役員、会員の皆さんに心から感謝したい。これからも素晴らしい文化遺産を子孫に残そう」と述べた。式典では同協会への功労者として、初代会長の伊志嶺亮平良市長ら歴代会長に表彰状が、宮古毎日新聞社などに感謝状が、それぞれ贈られた。
 表彰者を代表して同協会第2代会長の佐渡山正吉さんは「役員、市民の多くの努力、協力があって今日を迎えた。今後も自分たちにできることを通して少しでも協力したい」と話した。
 平良市文化協会は1984年1月、17の団体会員と86人の個人会員で発足。現在も毎年開催されている平良市民総合文化祭は同年11月の11回目から平良市と同市教育委員会、同協会の3者で共催となった。事務局の移転問題など多くの困難もあったが、方言弁論大会や各種公演などで成功を収め、現在に至った。
 式典で、同協会初代会長でもある伊志嶺市長は祝辞の中で「市民生活は多様化し、市民総合文化祭は活動、発表の場として華やいでいる」と文化活動の活発化を喜んだ。また安和朝忠県宮古支庁長、城間喜宏県文化協会長もそれぞれ20周年を祝福する言葉を贈った。
 祝賀会では、紫の会・亀浜律子琉舞練場による舞踊や「ブーゲンビレアコーラス」の合唱などが披露され、お祝いムードに花を添えた。
 功労者表彰を受けたのは次の皆さん。(敬称略)
 【功労】▽伊志嶺亮(初代会長)▽佐渡山正吉(第2代会長)▽宮川弘(第3代会長)【感謝】▽新城弘(「花と緑の園芸展」での盆栽審査・指導)▽与那覇博敏(「なりとゅんみゃーく方言大会」へのかかわり)▽上地照子(同)▽響和楽器(音楽祭や吹奏楽祭などでの公演運営、支援)▽宮古毎日新聞社(特別賛助会員としての支援)

 写真説明・20周年の節目に功労者表彰、感謝状を受けた皆さん=26日、平良市のホテル共和

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「元気で頑張ってます」/東ティモールPKO活動・

宮古出身の親泊さん、下地さん

6-1.jpg (32270 バイト)6-2.jpg (8245 バイト) 【那覇支局】2002年4月から国連平和維持活動に派遣されている「東ティモール派遣施設群」の第四次隊として陸上自衛隊第一混成団から隊員20人が昨年10月に派遣された。うち12人の県出身者の中には宮古出身の親泊秀二さん=平良市西原出身=と下地宏和さん=伊良部町出身=の2人もいる。このほど2人から陸上自衛隊那覇駐屯地の同団に「元気で頑張っている」との近況報告が届いた。

 親泊さんは、警備分隊の分隊長で、各種補修作業間や現場への移動間の警備を行う。「東ティモールはとても暑く、現在も最高気温は40度ぐらいある。海はとてもきれいで宮古の海にそっくり」と、宮古を思い出す。入国してから夜は三線の練習を続けている。「孤児院のクリスマス会で唄三線を披露したら、大変喜ばれた。子供たちの笑顔は万国共通でとてもかわいい。この子たちのためにも頑張ろうと思う」と張り切っている。
 下地さんは、首都のディリ県に勤務。「宮古から約4000キロ離れているが、海は青々とサンゴに囲まれ、夜空一面の星は宮古の夜景にも劣らないほどきれい」と言う。「しかし、人々の生活環境や衛生状態は最悪。その復興支援で道路や橋の補修活動などを実施し、着実に成果は上がっていると思う。きつい時には『あららがま』を忘れずに頑張る」としたためた。
 同派遣隊員は昨年9月の壮行会で、稲嶺恵一知事から「東ティモールの社会基盤の整備と国民の福利増進のために精励していただきたい」と激励を受けた。派遣後、第一混成団の君塚栄治団長は稲嶺知事を訪ねて、隊員の活動ぶりを報告した。

 写真説明(上左)・東ティモールの住民らに唄三線を披露する親泊秀二さん
 写真説明(上右)・下地宏和さん

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