第3集 古里とのつながり大切に活動

 【那覇支局】在沖宮古郷友の活動は25―30年前ごろ大変な盛り上がりを見せていた。郷友の高齢化が進み、二世、三世の時代になるにつれ、かつてほどの活動は見られなくなった。それでも、お互いに助け合い、古里とのつながりを大事にし、力強く活動を続ける郷友たちも多い。郷友会活動を盛り上げる趣旨で、沖縄宮古郷友連合会、各市町村郷友会などの活動ぶりを取り上げた。(※宮古五市町村合併後、伊良部郷友会を除いて、四市町村郷友会はまだ名称の変更はありませんので、そのまま使用します)

宮古振興発展に協力/沖縄宮古郷友連合会
 沖縄宮古郷友連合会は、平良市、城辺町、伊良部町、下地町、上野村の旧五市町村と多良間村の郷友会で構成される組織。昨年は、一月に新年会・叙勲等受章者祝賀会、四月に演芸まつり、六月に総会、十月にグラウンドゴルフ大会、十一月には伊志嶺亮新市長と嘉数昇明副知事を招いた宮古島市誕生記念祝賀会が盛大に開催された。初めての試みで宮古を離れた新成人の祝いを兼ねた新年会は特に好評を博した。
 今年も同様の活動を予定するほか、初めて宮古から沖縄本島に渡ったといわれる与那覇勢頭豊見親史跡(白川神社、那覇市泊)の周辺整備、現在活動を停止している在沖文化協会の活動再開などを計画している。 
 兼島恵孝会長は「新たに誕生した宮古島市の歴史的移り変わりを見守りながら、会員一つになって宮古島振興発展に協力していきたい」と抱負を述べた。

 写真説明・伊志嶺亮市長を招いて宮古島市誕生を盛大に祝った=パシフィックホテル沖縄

各学区との連携図る/在沖平良市郷友会
 平一、北、鏡原、久松、西辺、狩俣、池間の七学区郷友から成る在沖平良市郷友会。二〇〇五年の活動は、二月に囲碁大会、五月に定期総会兼舞台・展示発表会、七月にグラウンドゴルフ大会、十月にはゴルフ大会を行った。
 百二十人余りが参加して行われたグラウンドゴルフ大会は、会員のための親睦行事として大変喜ばれた。初心者がホールインワンを出すなど大いに盛り上がった。今年目新しい行事として予定しているのはインターネットを使った子供囲碁大会。宮古と沖縄本島の子供たちが海を越えて対戦する。
 豊岡恒夫会長は、「今年は宮古島市誕生に伴い『在沖宮古島市郷友会』を設立し、現在の『在沖平良市郷友会』を継承することになっている。これまで同様各学区郷友会の役員と連携し、会員に喜ばれるような行事を行っていきたい」と抱負を語った。

 写真説明
・親睦行事として会員に大変喜ばれたグラウンドゴルフ大会=那覇新都心公園

古里の誇り持ち活動/在沖城辺町郷友会
 在沖城辺町郷友会は一九六九年に設立された。現在の砂川高浩会長は二十四代目になる。
 昨年は、一月に新春の集い、四月に定例総会を行った。八月(旧七夕)に行った納骨堂合同供養祭には約六十人余りの遺族が参加、那覇市真嘉比にある共同墓地周辺を清掃し先祖を供養した。
 現在、墓地のある土地が区画整理地内にあるため場所を移動する方針となっている。十月には資金造成を兼ねたゴルフ大会を開催、百人余りが参加しゴルフを通して親睦を深めた。
 今年も、年明け一月の新春の集いで活動が始まる。例年通りの行事を行うほか、沖縄宮古連合会が主催する行事などにも参加する予定。
 砂川会長は「宮古は合併して一つになったが、これまでと同様に城辺出身としての誇りを持ち活動を続けていく」と話した。

 写真説明・総会後に行われた親睦会では乾杯し郷友会の発展を願った=かんぽレクセンター那覇

先輩たちの精神引き継ぐ/沖縄伊良部郷友会
 宮古島市誕生に伴い在沖伊良部町郷友会は年明け一日から、名称を変更し沖縄伊良部郷友会となる。
 昨年の四月の敬老会には三百五十人が参加し盛大に行われた。六月のバレーボール大会では青年部を中心に三百人の参加者が白熱したプレーを展開。八月の慰霊祭では大勢の会員が共同墓地に眠る御霊に合掌し更なる郷友会の発展を誓った。さらに十月の親睦大運動会では約千人の会員が各支部の名誉を懸けて競い合った。
 今年は、創立五十周年の節目に当たる。毎年行う四大行事のほか記念事業を計画している。設立当初の原点に返り「親睦」「友情」「郷土愛」をスローガンに据えて活動を運営する。
 伊計高秋会長は「先月行われた総会で新会長に選出させていただいた。これまで先輩方が行ってきた行事や精神をしっかりと引き継いでいきたい」と抱負を述べた。

 写真説明・白熱したプレーが展開された6月のバレーボール大会=浦添市の宮城小学校

初春にバラエティーショー/在沖下地町郷友会
 一九五六年に発足した在沖下地町郷友会。現在は会長一人、副会長二人、事務局長一人、理事十三人が運営する。
 昨年一月に総会、七月にグラウンドゴルフ大会を行った。
 台風のような日だったというグラウンドゴルフ大会には百人余りが参加、強い風と雨の中でプレーと表彰式を行った。
 今年は年明け一月十五日に新春バラエティーショーを開催する。演歌やオペラ、日舞や琉舞など同級生グループの出し物で盛り上げる。
 野原会長は「これまで郷友会は旧下地町の援助があったおかげで活動を続けてこれたと思う。宮古島市となった今、今後の運営が気になるが、会員みんなで盛り上げて存続していけるよう頑張りたい」と語った。

 写真説明・悪天候の中、百人余りが参加して行われたグラウンドゴルフ大会=那覇市の漫湖公園

活動盛り上げに力/在沖上野村郷友会
 在沖上野村郷友会は一九六二年に設立され、現在の会員数は三千人余り。役員任期は一年で、還暦を迎えた生まれ年の学年が務める。今年は四月の総会で戌年に引き継ぐことになる。
 昨年は、四月に定期総会・敬老会、六月にバレーボール大会、十一月に大運動会が行われた。
 敬老会では、対象二百九十八人のうち出席した七十人のお年寄りを盛大に祝った。民謡ショーや婦人部の踊りが披露され大いに盛り上がった。
 毎年、会員たちが一番の楽しみにしているという大運動会には三百人余りが参加。上野中十三期卒が中心となり百b走や、千六百bリレーなど全三十種目を九部落で競い合った。今年も同様の活動を行う予定。
 洲鎌昭雄会長は「宮古は合併して一つになった。我々も他の郷友会と協力し郷友会活動を盛り上げていきたい」と抱負を述べた。

 写真説明・9部落対抗で30種目の競技を競い合った=奧武山公園サブグラウンド
洲鎌昭雄会長

50周年記念式典を開催へ/在沖多良間郷友会
 九部落の支部、九百世帯の会員から成る在沖多良間郷友会。昨年は、一月に新年会・成人祝い並びに合同祝賀会、五月に定期総会・敬老会、七月にグラウンドゴルフ大会、十一月に運動会などの定例行事を行った。
 このほか八月に新村長・村議員と郷友会との懇親会、九月に多良間島の国指定重要無形民俗文化財の八月踊り国立劇場おきなわ公演、十一月には県文化協会主催の民俗芸能祭に同郷友会のヨーンシーが出演した。
 八月踊り公演は、会場が満席になるほど大勢の郷友が詰め掛け、ロビーに設置された大型テレビで鑑賞するほど大盛況となった。
 今年は大きなイベントとして、結成して五十周年を迎える郷友会の記念事業を開催する。
 福嶺勝公会長は「今年は期成会を結成し、式典や記念誌発刊などを行う予定。無事に成功するよう郷友らと共に力を合わせて取り組んでいく」と意気込みを語った。

 写真説明・会場が満席となるほど大盛況となった多良間郷友会主催の八月踊り公演=国立劇場おきなわ
八重山

宮古島市と連携密に
在八重山宮古郷友連合会/宮國 惠慈会長
 「宮古の各市町村の人材や知恵が結集され、宮古の良さが最大限に発揮できると思う」。昨年十月一日に発足した新生、宮古島市の誕生を誰よりも祝う。「八重山にある六市町村名の郷友会は消えることはないが、今後も連携を強化し故郷の発展に協力していきたい」と話す。
 宮古の文化、歴史、言葉(方言)を大事にする。二、三世と呼ばれる移住者の子や孫は、宮古の方言を聞き取れないことが多いといい、特に方言を教えることに力を注ぐ。
 宮國会長は「故郷に誇りを持ってもらうため、できる限り方言の良さを伝えたい」と話し、方言を通した故郷の文化紹介に意欲的だ。
 今後の宮古圏域と郷友会とのつながりについては「互いのイベントに参加し合うことで交流発展を目指していきたい」と強調。会員が宮古の文化を学ぶ機会としてクイチャーフェスティバルなど文化イベントに積極的に参加する方針だ。
 「方言や音楽の意味が分からなくても、宮古の文化に触れ大事にしてほしい」と宮國会長。宮古の良さを会員に浸透させることで、郷友会の発展につなげようと二〇〇六年の抱負を述べた。

 写真説明・宮古島市誕生を祝う宮國会長

故郷を花いっぱいに
在八重山狩俣郷友会/池間 義則会長
 「故郷の狩俣を花で美しくしたい」。在八重山狩俣郷友会の池間義則会長。二〇〇六年にそんな夢を抱く。狩俣にブーゲンビリアを約二百本寄贈する計画を立てており「故郷の環境美化につながる」と実現を目指している。
 池間会長は、石垣島と周辺離島を結ぶ八重山観光フェリーの代表を務める。
 一九八六年には石垣市議会議員に当選し、二期八年、石垣市の発展に全力を尽くしてきた。
 池間会長が狩俣で生活を送ったのは二、三歳のころまでという。はっきりした記憶はないが、「自然が美しかった集落」と覚えているという。
 郷友会の活動理念は相互扶助。移住者の子や孫、いわゆる二、三世が増えつつある現在も「狩俣とのきずなを深くしたい」と宮古島ツアーなどさまざまな活動を展開。
 その一環として現在計画中なのがブーゲンビリアで狩俣を美しくすること。「技術的なことなどまだまだ解決すべきことはあるが、ぜひ実現させたい」と意欲的だ。
 池間会長の原動力は「二、三世にも故郷、狩俣を誇りにしてほしい」との思い。郷友会活動を充実、発展させることで、故郷の発展も目指している。

 写真説明・「故郷を花いっぱいに」と新年の目標を語る池間会長

離島医療の向上へ全力
医療法人恵山会/下地 隆理事長
 石垣市にある下地脳神経外科、第二下地脳神経外科を運営する医療法人恵山会の下地隆理事長=城辺字長間出身=。離島の医療向上に意欲を見せる。
 西城小学校に通っていたころから、野口英世の伝記を読むなど医療への関心は高かった。高校一年生のころ、父親が病で亡くなった。医者を目指す思いは強くなる。
 宮古高校卒業後、石川県の金沢大学医学部へ。卒業後は富山県や福井県などの北陸地方で脳神経外科医として経験を積む。
 三十二歳になり、沖縄県全体で脳神経外科医が少ないことから県立中部病院へ。ひん死の患者を前に「何としてでも救いたい」という思いを原動力に数々の手術を行う。
 そんな中、離島の医療向上を真剣に考えるようになる。一九九九年五月に石垣市で下地脳神経外科を開院。昨年は第二病院を開院した。
 「県立病院では、予算の面で安定的に脳神経外科医を確保するのは難しい。特に脳外科医が少ない離島で困っている人の役に立ちたかった」と当時の思いを振り返り、「今後は離島医療の安定化を図るため、優れた後継者を育成していきたい」と強調する。
 故郷、宮古島を思う気持ちは人一倍。「私にできることであれば、どんなことでも力になりたい。困ったときは相談を寄せてほしい」と呼び掛けている。

 写真説明・離島医療の向上に全力を注ぐ下地理事長
 

 
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