【 50周年特別企画 「水」 】
生き続ける生命の井(カー)
住民生活支えた大川(ウプカー) 50年ぶりに現る
平良市教育委員会の発掘作業により、広く庶民に利用された「大川(ウプカー)」がおよそ40−50年に及ぶ眠りから目を覚ました。
大川の石積みは楕円形で最大の直径は20メートルにも及ぶ。深さは2・5−3メートルある。建造当時、牛馬の用水所として活用されてきた。過去に県内で発掘されている用水所としては最大規模の大きさである。
内部には牛馬が下りやすいようにスロープがある。また、人が同時に使用できるように石の仕切りも設けられている。
石積みは大和井と同じような構造をしているため同年代に建築されたのではないかとみられ、下方に大きな石が積まれ、上方になるにつれて小さな石が積まれる安定した造りで、当時の建造技術の高さをうかがわせる。
平良市文化財審議会のメンバーらも「一級品の史跡。当時の建造技術の高さに驚くばかり」と舌を巻く。同審議会と平良市教育委員会では国指定文化財も視野に入れて保護活動を行う予定。
大川に関する文献はほとんどない。唯一記されているのが1727年に宮古から琉球王府に報告された「雍正旧記」で、「大川、掘った年代は分からない。長年の間に大破したので、康煕56年(1717年)に補修した。牛馬の用水所である」とだけある。
発掘された大川は1950年代の半ばには同審議会の友利恵勇会長らが幼いころに確認しており、同年代以降に水道の普及と土砂の流入により地中に埋もれたものとみられる。
昨年、市の事業で大川の掘り起こしを計画、10月中旬から発掘を始めた。重機を使用して土砂を掘り起こした結果、巨大な大川が姿を現した。
写真説明(上)・およそ50年ぶりに姿を現した大川。県内で発掘された用水所としては最大規模の大きさ
写真説明(下左)・湧水口の水は洗濯、水浴びなどに利用された
写真説明(下右)・丸くくりぬかれた石積み。建造当時に手を洗うために使われたと見られる |