2005年 元旦特集・産業 【農業】

 

島の元気印 肉用牛

 2004年の競りで、過去最高26億円の販売額を達成した宮古の肉用牛。販売額が伸びた裏には、農家(和牛改良組合)と畜産関係者一体となった和牛改良の取り組みや、高齢者でも楽に牛が飼えるようにと配慮したJAの牧草刈り取り受託事業(コントラクター)などがある。今後に向けても宮古牛に対する購買者の人気が高いことや、消費者の高級和牛肉への愛着など明るい材料は多い。宮古和牛改良組合(砂川博一組合長)は次の目標に「販売額30億円早期達成」を据えている。
 現在、肉用牛をはじめ宮古の農業を支援し発展させていこうと、地産地消運動が展開されている。宮古牛は脂肪が交雑し、柔らかく外国産とは比べものにならないほど美味だ。2003年の県経済連主催の和牛枝肉共進会では、すべての賞を独占し品質の高さを実証した。肉用牛経営をより確固たるものにしていくためには、地元産牛肉の消費拡大が望まれている。

□ 改良進む宮古牛 全国ブランドへ

 宮古の和牛改良の歩みには、畜産関係者や農家の熱意、一糸乱れぬ組織活動などがあった。その足跡を追った。
 改良の経過 戦後、沖縄の牛肉は1966年ごろまで、米軍向けに出荷されていた。米軍の牛肉消費は選り好みが無かったため、品種や系統にこだわる必要はなかった。
 66年、米軍向け出荷は停止され、代わって本土出荷が始まった。これに伴い、本土市場に合う品種改良が必要になった。
 宮古では74年から、県の肉用牛計画交配事業が実施された。この時、使用された種牛は体積系のもので、その点の改良に大きな成果を上げた。この結果、77年、78年の2年連続、県畜産共進会で農林水産大臣賞に輝いた。
 しかし、牛肉消費はこのころから上物への愛着が加速。93年には、バブル崩壊と牛肉輸入自由化の影響を受け子牛相場が暴落。同状況が、資質改良に拍車を掛ける引き金になった。
 当時、改良のけん引役を務めたのは、宮古畜産技術員会(会長・川上政彦=現JAおきなわ宮古地区営農センター長)であった。調査の結果、体積系の3系統を購買者が敬遠していることが判明。同状況を解消するため、技術員会は92年11月、改良の方針を決定、地域を網羅し動き出した。
 方針は体積系に資質系を交配する組み合わせを明示。同時に技術員会は、体積系母牛の淘汰を指導した。
 川上センター長は「淘汰(処分)して代わりの母牛を購入するのには、金がかかる。淘汰のことは、農家には言いにくかった。しかし、宮古全体のことを考えるとそうするしかなかった」と、当時の心境を話す。
 技術員会のメンバーは、各集落を駆け巡り改良方針を説明するなど、日夜奮闘した。
 種牛は家畜改良事業団のものを使うという、先駆的手段を取った。「紋次郎」、「安金」、「北国7の8」、「金鶴」、「福栄」、「北仁」、「第6栄」などを、全国のどこよりも先に使った。これらの種牛は、現在高く評価されており、導入の失敗はこれまでにほとんどない。
 繁殖素牛の導入にも力を入れた。優良な種雄牛の価値を高めるには、優良な母牛が必要だったため、検討の結果、鹿児島県から「忠福」、「神高福」を農協有牛制度を利用して入れた。それが成功し、現在も「平茂勝」、「金幸」へと続いている。
 購買者の要望を聞き、種牛を導入したのも先を見据えたやり方だった。ある大口購買者は「宮古は農協を中心に人工授精を行い、種雄牛が選定されているため、買いやすい。また、宮古は自分たちの要望を、受け入れてくれる」と、宮古市場の良さを強調。そうした取り組みが、購買者の信頼を買うようになった。
 改良は急速に進み、92年当時約4割を占めていた体積系の母牛は現在5%と、大きく減った。
 92年に14万5000円あった全国との子牛価格差は、2003年には4万3000円まで縮小。改良の成果は03年の県経済連主催和牛枝肉共進会で、宮古産牛がすべての賞を独占するという成績で示された。
 宮古の畜産界に長年関わってきた元JA宮古郡組合長で現在宮古郡農業共済組合長の平良一夫さんは「あと4、5年もすれば登録証から、以前の種牛の名前がすべて消え、宮古は一層信頼される市場になる」と、将来に自信を見せる。    

 写真説明(上)・宮古の肉用牛競りは高値取り引きで活気づいている
 写真説明(下)・宮古産牛肉は2003年の県経済連主催和牛枝肉共進会ですべての賞を独占するなど高い評価を受けている

労働を軽減、規模拡大躍進/コントラ事業、農家支える

 牧草の刈り取りを受託するJAのコントラクター事業は、牛の飼養頭数を増やす原動力となった。
 同事業が始まったのが1988年。農家が依頼すれば機械で草を刈り取り、干してこん包、要望があれば牛舎まで運ぶというシステムだ。近年は刈り取った生草をビニールで巻き保存する方法も行われている。これはロールベイラーと呼ばれ、刈り取った草がすべて飼料として利用できるのが一番の特徴。「草が発酵し栄養価が高まる」、「草地での貯蔵が可能」などもメリットだ。乾草調整の場合は、刈り取った草が雨を吸い込み腐って利用できないこともあるが、小規模農家には向くという。
 コントラクターが導入される前、農家は草刈り機で草地の草を刈りトラックで牛舎まで運び、刻んで牛に与えていた。平良市増原の喜屋武勇さんによると、母牛十頭を飼いコントラクターを利用していなかったころは、草刈り、給餌に要した時間は1日約3時間。現在は母牛20頭以上と以前より倍以上の規模になったが、同事業により給餌に要する時間は1時間半とかなり短縮された。
 喜屋武さんは「コントラクターで、労働が軽減されその分規模拡大できた」と事業効果を強調する。草地も以前の2ヘクタールから5ヘクタールに増やした。コントラクターは、草刈りから運搬まで要望に応えることができるため、特に高齢農家の「助っ人」になっている。コントラクターがスタートした当初の草地面積は431ヘクタール。その後年々増え、2001年には倍以上の1066ヘクタールに達した。
 飼養頭数も8600頭から、2003年には1万6600頭と2倍に増えた。コントラクターは草地を増やし、結果的に飼養頭数を増やすという効果を生み出している。
 飼養頭数は以前は、価格暴落時には激減する傾向にあったが、近年は価格にさほど左右されず安定するようになった。川上センター長は「草地の確保でコスト低減が図られ、農家が経営に自信を持つようになったのも1つの要因だろう」と話す。

 写真説明・コントラクター事業は草刈りの労働を軽減し、草地面積増、規模拡大を促進している

□ 飼育頭数の増 課題/環境に優しい畜産を

    
  宮古和牛改良組合長 砂川 博一さんにインタビュー

― 昨年を振り返っての感想を
 砂川会長 子牛価格が高値安定で推移し、農家にとって良い1年でした。価格上昇は出荷体重の平均化が一番の要因です。農家はJAの指導を受けながら、9−10カ月で体重270−300キロを目安に出荷しています。以前は、200キロ以下の牛も見られるなど、体重にばらつきがありましたが、現在そういった小柄な牛は見当たりません。農家が意識を持って、体重アップに取り組みました。もう1つの要因は、資質が良くなったことです。人工授精士の指導で、種牛をしぼっています。そのおかげで、宮古の市場は年々評価が上がっています。現在は、全国から注目が集まり、東北の購買者も来るようになりました。購買者が増えたことも、価格上昇の要因です。
― 今後の課題について
 砂川会長 農家の高齢化に伴い飼養戸数が減っています。しかしその半面、規模拡大が進んでいます。今後は、1戸平均の飼養頭数を増やし、減った分を補う必要があります。競りの上場頭数は450−500頭を維持しなければなりません。これができれば、将来の見通しは明るいと考えます。
 若者の中には、母牛100頭規模の人もいます。そういう若者がリーダーとして引っ張ってくれれば、ついてくる若者がどんどん出てくると期待しています。
 昨年11月から家畜排せつ物法が全面施行されました。規制がありますが、法の施行は排せつ物を有効利用する良い機会だと考えます。野積みされているふんもきちんと処理すれば堆肥になり、牧草を始め他の作物の生産向上にもつながります。今後は環境に優しい畜産を考えなければなりません。
― 今年の抱負を
 砂川会長 農家、関係者が一丸となって、一層評価される産地づくりに努力します。そのためには、さらなる資質改良と飼養頭数の増加に努めなければなりません。
 

 

 
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