1908 特別町村制が施行され、伊良部島の7カ村独立し伊良部     村となり、伊良部、仲地、国仲、長浜、佐和田、池間添、     前里添の7字となる 1909 池前漁業組合設立 1911 伊良部村農会設立され、農事の改良図る 1912 西区にスイカ栽培盛んとなる      この年の民選村長誕生する      伊良部島と下地島を結ぶ国仲架橋設置される 1914 佐良浜の池前漁業組合が伊良部村漁業組合に改め、専用     漁業権取得 1918 9月 伊良部島と下地島を結ぶ仲地橋(湊橋)架設着手 1919 仲地橋竣工 1920 普通町村制施行。7月に国仲寛徒村長となる 1931 8月9日 大暴風により伊良部・佐良浜小学校全壊。佐     良浜にて漁船遭難〓人行方不明 1939 7月 伊良部丸が渡口港沖で沈没し〓人の死者を出す 1940 電話開通      新聞の戦時統合行われる 1944 日本帝国陸軍部隊駐屯。米軍機初空襲 1947 伊良部村農業協同組合設立 1954 伊良部村営有線放送開始 1958 大地震発生し、佐良浜地区被害甚大      丸勝バス、渡久山バス運行開始 1959 第一宮古島台風(サラ)襲来 1962 伊良部製糖工場設立 1963 宮古電力伊良部営業所が送電開始(8時間) 1966 第二宮古島台風(コラ)襲来 1967 テレビ放送開始 1968 第三宮古島台風(デラ)襲来 1969 伊良部村役場庁舎完成 1971 伊良部村議会が下地島パイロット訓練飛行場誘致決定      長期異常干ばつ186日を記録し、農作物全滅状態      佐良浜中学校移転 1972 祖国復帰。初の県知事・県議会選挙。      下地島パイロット訓練飛行場建設工事着工      〓月〓日村章制定。〓月村歌制定 1973 4月 佐良浜漁港・長山港拡張工事 1974 伊良部中央公民館完成 1975 佐良浜診療所開設 1976 ダイヤル式電話開通。NHKテレビ同時放送開始 1977 伊良部学校給食共同調理場完成。北・南両保育所完成 1978 いずみ・あずま両保育所完成。伊良部村離島振興総合セ     ンター完成 1979 佐良浜共同調理場完成。伊良部村漁協製氷冷凍施設完成      7月5日、下地島空港開港 1980 伊良部〜那覇間定期航空便就航 1981 新庁舎完成(総工費4億6800万円)。佐良浜地区で     牧山展望台完成 1982 4月1日、町制施行                     8月〓日、初代町長に川満昭吉氏当選      9月〓日、初の町議会議員選挙      伊良部町商工会発足。ごみ焼却炉完成。県議会が県立高     校設置決議 1983 川満町長が西銘順治県知事とASEAN(東南アジア)     諸国訪問 1984 県立伊良部高校伊良部分校開校。伊良部町B&G伊良部     海洋センター完成。伊良部町勤労者体育センター完成      佐良浜漁民らによるパプアニューギニアでのカツオ漁再開 1985 伊良部町体育協会10周年記念式典。第1回全日本トラ     イアスロン宮古島大会 1986 大主神社改築。県立伊良部高校開校。伊良部町老人福祉     センター開所      佐良浜小学校全国健康優良校で表彰      伊良部小学校創立100周年記念式典      公教育100周年記念式典 1987 県立伊良部高校第1回卒業式      伊良部町B&G海洋センター無償譲渡      海邦国体に町出身選手5人出場 1988 伊良部架橋促進期成会発足      特別養護老人ホーム「松風園」完成 1989 元号「平成」となる      児童館完成      カントリーパーク着工 1990 伊良部町佐良浜スポーツセンター完成      佐良浜小学校創立100周年記念式典 1991 伊良部架橋促進協議会発足      伊良部町前里添多目的共同施設完成 1992 伊良部架橋促進青年会議発足      町制施行〓周年記念式典      伊良部町文化振興会発足 1993 在沖宮古郷友会が伊良部架橋早期実現総決起大会(那覇市)      佐良浜中学校体育館完成      平成の森公園完成      デイサービス事業開始 1994 県立伊良部高校〓周年記念式典      台風〓号に伴う竜巻発生(仲地部落)      伊良部町陸上競技場完成 1995 県立自然公園に指定される。第〓回全宮古陸上競技大会     が伊良部町で開催 1996 伊良部町商工会青年部〓周年記念式典      伊良部町の愛称(とぅがに響むさしばの里いらぶ)      全国高校空手道選抜大会で宮国淳君が日本一に輝く 1997 伊良部中学校創立〓周年記念式典 1998 葉タバコ栽培の新規参入が決定      第1回伊良部町民祭り開催      伊良部町水道事業の水質改善事業着工      新中央公民館完成 1999 伊良部町カントリーパークが「手づくり郷土賞」に認定     される      東地区構造改善センター完成 2000 徳洲会伊良部島診療所が開院。      佐良浜中学校創立〓周年記念式典      伊良部町水道水質改善事業施設完成      第2回空手道世界大学選手権で宮国淳君優勝      第〓回全日本中学校バレーボール選手権大会で佐良浜中     学校男子バレーボール部が準優勝 2001 第2回町民まつり開催      第7回スーパージャンボフィッシング大会開催      伊良部町総合センター「てぃだの郷」完成 2002 町制施行〓周年記念式典      町営ゴルフ場「サシバリンクス伊良部」オープン      佐良浜中学校男子バレーボール部が九州大会春夏連覇 2003 浜川健町長3選      伊良部高校県総合体育大会でバレーボール競技(男子)     で初優勝      伊良部町体験滞在型交流促進施設完成 2004 第〓回伊良部架橋早期実現爬龍舟大レース開催      伊良部高校男子バレーボール部が全国高校総体でベスト〓      伊良部架橋事業化決定 2005 伊良部高校男子バレーボール部「春高バレー」初出場      第6回ロマン海道伊良部マラソン開催      伊良部架橋に伴う漁業補償金妥結、架橋着工      宮古5市町村が合併決議          9月〓日、「閉町式典」挙行      9月〓日、「閉庁式」挙行予定  市町村合併直前インタビュー  魅力ある農漁業に力を 伊良部町長  浜川 健  ―自らの町政と今の伊良部町について  「郷土愛」を理念に掲げ、町長として三期十年余り町政運営に携わってきた。町民福祉の向上や地域経済の発展に力を尽くした。評価するのは町民と町議会。町長に初就任以来、財政は厳しく、多い事業の中から、優先事業を選んで導入してきた。民宿・キャンプ村や佐和田漁港・佐良浜漁港の整備など数多い。  ―村時代から数えると九十七年、町制施行から二十三年の歴史を振り返って  わが町は、第一次産業の農業と水産を中心に発展してきた。私の時代に合併することになり町民をはじめ歴代の村・町長、村・町議会議員の皆さんに申し訳ないと思う。村・町制合わせて九十七年目にして幕を下ろすことは寂しい。  ―なぜ合併を推進したのか  当初は自立の道を選択していた。しかし、国の三位一体改革が予想以上に早く進み、国からの地方交付税の大幅な減額などで町財政は逼迫状態に陥った。あれこれ歳出の抑制を断行したが、財政の好転は無かった。確かに合併の是非を問う住民投票では、合併反対が多かった。しかし、私は、厳しい財政を踏まえた上で自立は難しいと判断し、合併推進を表明した。合併賛否の専権事項を最終的に判断するのは町議会。その町議会は合併賛成を決議した。町議員は住民の代表であり、その代表が決議したことは大きな意義がある。  ―これからの伊良部地域と新市・宮古島市に望むことは  わが町は農漁業で繁栄した。農業の発展に欠かせないものが土地改良事業だ。今後ともほ場整備は必要なため推進されていくものと信じる。これからの漁業は観光漁業が重要。観光客らをパヤオ(浮魚礁)に案内し釣り体験をさせることによって観光漁業は発展していく。魅力ある農漁業が発展することで後継者が誕生し、地域経済を潤すようになる。  私が在職中に解決せずに積み残したのが、下地島空港とその周辺の広大な残地活用の問題だ。新市「宮古島市」では、ぜひその問題の解決のために取り組んでほしい。  伊良部町は農漁業を中心に発展してきた村・町制合わせた九十七年の歴史に幕引きする。農業ではサトウキビやカボチャ栽培などで農家所得は向上し、漁業では近海・遠洋カツオ漁などの大漁で好景気に沸いた。町は目覚ましい繁栄を遂げたが、国の地方交付税の大幅な減額などで財政は悪化。苦渋の決断で、市町村合併の道を選択した。十月一日に誕生する新市「宮古島市」へ将来の暮らしと社会を託す。今月三十日に「閉庁式」が挙行され、高々と掲げられていた町旗が降ろされ幕を閉じる。 海と空に拓かれた町 農漁業で輝かしい発展     松原清吉 作詞    平良 勝 作曲 一 東の空は 明けそめて   雲むらさきに 風かおる   古き歴史に抱かれて 誇りと夢を   育めば 希望輝く わが伊良部 二 きびの尾花は 銀色に   豊かに実り 波をうち   大地に深く 根をおろし   島の緑は  生意あふる   瑞気みなぎる わが伊良部 三 黒潮かける みんなみの   四海の幸は 拓けゆく   共に肩くみはらからと   海原遠く  はばたいて   雄々しく生きん わが伊良部 四 文化の華が 咲きかおり   人の情は 美わしく   豊かな心 健やかに   睦みもかたく  いざ永久に    強く伸びゆく わが伊良部     おお!わが伊良部 伊良部町 歴代村・町長 ハイビスカス 町 花 伊良部町歌 沿革年表(1908―1985) 沿革年表(1986―2005) 現在の佐良浜漁港 松風園 陸上競技場 次代を担う伊良部町南保育所のよい子たち さわやかな表情で語る浜川町長 村・町制97年の歴史に幕 サシバ 町 鳥 サザエ 町 貝 町 木 町 魚 カツオ ガジュマル *人口 6,580人 男性3,313人 女性3,267人 *世帯数 2,639戸 *面積39.14〓 (〓〓年8月〓日現在) 伊良部丸遭難碑 てぃだの郷 町民の声 〓代村長 友利克氏 〓代村長 伊志嶺朝常氏 〓代村 垣花正憲氏 〓・〓・〓・〓代村長 譜久村善氏 〓代村長 奥平幸三氏 〓・〓代村長、初代・2・3・4代町 長川満昭吉氏 5代町長 佐久川茂氏 〓代村長 羽地宣長氏 9代村長 西原雅一氏 4・7・〓代村長 垣花恵辰氏 3代村長 垣花恵之氏 初代・2・6代村長 国仲寛徒氏  伊良部町が合併するとは時の流れを感じる。町名が無くなるので寂しい。これからは若い人たちが「伊良部」の将来を真剣に考えてほしい。私たちの老人クラブ連合会も新市に伴い新しい組織名となる。 仲宗根 玄信さ  ん 伊良部町老人 クラブ連合会長  伊良部町の町名で生まれ育って、楽しい思い出がたくさんある。その一つが下地島空港に定期便が開設された時。合併は時代の流れで寂しい。 浜川 正弘さ  ん 佐和田自治会長  伊良部町の町名が無くなるので、一抹の寂しさを覚える。しかし、宮古が一つになるのでうれしい。今後は宮古島市が大きく発展することを期待している。 長浜 国博さ  ん 伊良部町青年団 協議会長  長く親しんできた町名が消えことは、とても寂しい。十月一日からは「宮古島市伊良部」で再出発するので、将来が楽しみ。 濱川 恵子さ  ん 会社員  伊良部町の下地島にある国内唯一のパイロット訓練飛行場の「下地島空港」。地域住民や労働団体などは、十月一日に誕生する新市「宮古島市」でも「下地島空港は平和利用を」と訴え、海外貿易での物資集積地や物資中継地の拠点への有効活用を提言する。  これまで町は、「伊良部町と下地島空港は運命共同体」と位置付け、同空港とその周辺残地の有効活用を模索。町独自の有効活用は見出せないまま新市へ引き継がれることになった。浜川町長は「新市で、宮古圏域の発展となる有効活用を考えてほしい」と要望し、軍事利用には断固反対する姿勢を示す。  四十代のある女性は「下地島空港が軍事利用されると、恐ろしくて住めない。いつまでも平和利用してほしい」と訴える。  青年らで組織する同町青年団協議会の長浜国博会長は「軍事利用の動きがあった場合は、青年パワーを結集して反対闘争を展開する」と強調する。下地島空港施設労働組合の福島正晴委員長は「対中国貿易などが展開された場合、下地島空港は物資集積地や中間(中継)集積地として活用してほしい」と提言する。  下地島空港は一九六九年に当時の琉球政府がジェットパイロット訓練飛行場として誘致し、下地島に建設された。七九年には公共用飛行場として新たに設置が許可され、供用開始された。八○年からはYS〓型機の定期便が就航。しかし、利用客が予想以上に少ないことから、九四年に運休。近年は米軍機がフィリピンへの訓練に向かう途中、給油の目的で同空港を強行使用。また一部のマスコミは、自衛隊が使用するのでは、と報道。労働団体などは軍事利用への動きに警戒を強め、平和利用を訴える。  同空港の面積は三六二fで、三○○○bの滑走路を有している。 新市でも平和利用を 浜川町長、有効活用を託す 住民ら物資集積地な  ど提言 下地島空港 離着陸の訓練を実施する民間航空機=〓日、伊良部町の下地島空港  伊良部町では今月〓日、町内の中央公民館で「閉町式典」が行われた。浜川健町長をはじめ大勢の住民らが町歌を斉唱し、村・町制〓年の歴史の終止符を惜しんだ。その時の様子の一部を紹介する。 大勢の住民らが町の幕閉じを惜しんで町歌を斉唱した 昔からカツオ節の仕上げは女性たちが中心=伊良部町漁協の鰹節製造加工場(2003年8月) 商工会、自立で存続 奥浜幸雄会長が語る  伊良部町商工会(奥浜幸雄会長、会員約二百人)は、十月一日に誕生する新市「宮古島市」になっても沖縄宮古商工会議所との合併は不要と決定している。奥浜会長は「地域の小規模事業者を支援するには、今の商工会の存続が不可欠。自立で歩んでいく」と強調する。  同商工会は、今年五月に開かれた二○○五年度第二十三回通常総会で「商工会組織の強化に関する決議」を全会一致で可決した。  決議文は▽規模事業者の支援組織である商工会の役割・必要性について、行政への理解を促進する▽伊良部町の小規模事業者への支援体制を実現するためには、地域密着型の相談・指導ノウハウを有する伊良部町商工会の存続が必要不可欠であり、宮古地区の市町村合併が実施された場合でも、同商工会と沖縄宮古商工会議所との合併は不要である―の内容。  同町(浜川健町長)は、本年度、同商工会に対し商工業者指導奨励補助金五十万円を交付した。  これに対し、奥浜会長は「補助金は少ない。来年度からは会員の会費値上げを行い、健全な運営を継続させたい」と話し「新市の発足に伴って伊良部町の町名は無くなる。伊良部町商工会の『町』の文字を無くすには総会の決議が必要。今後の臨時総会か次年度の定期総会で『町』を無くす議案を上程したい」と説明する。 伊良部町商工会の存続を語る奥浜会長=〓日、伊良部町商工会 ━閉町式典━ 97年の歴史惜しむ かつお節は「伊良部節」 新市で影響のないブランド  新市「宮古島市」が誕生しても影響を受けないものの一つが、伊良部町特産品のブランド。特産品のうち、かつお節は昔から「伊良部節」としての名声が高い。  同町から島外へ出荷される本節の年間出荷量は百d余り。かつお節には本節、亀節などと呼ばれる種類がある。本節とは一匹のカツオを四つ割りにして作ったもの。すなわち一匹のカツオからかつお節が四本できること。  消費市場では本節の人気が高い。同町水産振興課の池原豊課長は「新鮮なカツオで作った『伊良部節』は料飲店などのほかに、お中元やお歳暮などにも人気。新市でも伝統のかつお節を守っていきたい」と語った。 感慨深げに町歌を歌っていた浜川町長(右)ら  5代村長村上三郎氏と8代村長来間恭一氏の資料写真が無いため、顔写真は未掲載。 #Y1年(平成#G1年)#M1月#D1日 #W1曜日 1955年9月21日第3種郵便物認可 (#P) #Y1年(平成#G1年)#M1月#D1日 #W1曜日 (#P) 1955年9月21日第3種郵便物認可