1947 3月7日 平良市、市に昇格(米軍政府により認可)      〓月〓日 台風襲来、宮古発八重山へ航行中の金剛丸が           沈没 1948 3月7日 戦後初の市長選挙、下地敏之氏が当選就任      〓月〓日 宮古織物工業組合創立総会開かれる 1949 3月〓日 本土〜沖縄間旅券(パスポート)発行はじまる      〓月〓日 平良市長選挙施行、石原雅太郎氏が当選就任      〓月8日 宮古島郡復興祭 1950 1月〓日 全宮古駅伝競走大会催される      〓月〓日 宮古郡島政府発足(1房1局〓課)      〓月〓日 第1回宮古郡島議会開かれる 1951 8月〓日 平良市役所新庁舎落成      9月〓日 平良市農業協同組合設立総会 1952 1月〓日 宮古漁業協同組合連合会発足      2月〓日 平良市内水道穴堀作業開始      9月〓日 宮古琉米文化会館開館 1953 5月4日 平良市水道事業完成、送水開始      9月〓日 親子ラジオ放送開始 1954 〓月〓日 平良市下里公設市場落成 1955 3月8日 平良市三大事業竣工記念式開催      9月〓日 「宮古毎日新聞」創刊      〓月〓日 宮古南静園落成式 1956 2月〓日 「仲宗根豊見親の墓」琉球政府指定史跡に      〓月1日 宮古6市町村が干害・風水害の救援を琉球政           府に陳情 1957 7月1日 長期の干ばつ続く(〜8月〓日まで)      8月〓日 結核療養所(TB)落成      〓月〓日 嵩原恵典氏が第5代平良市長に当選就任 1958 3月3日 平良市主催農水産共進会      7月〓日 全国高校バレーボール大会へ宮古農林高校           チームが沖縄県代表として出場 1959 2月〓日 平良市電業課を民営電力会社に移管      9月〓日 台風〓号サラ(第1宮古島台風)来襲。瞬間           最大風速〓・8b。        〓日 富永寛氏が第6代平良市長に無投票当選 1960 1月8日 市町村長連帯で台風被災者食料購入資金の貸           出開始      4月〓日 宮古島災害復旧総決起運動      〓月2日 宮古製糖工場落成式        〓日 平良市役所、新庁舎落成式 1961 6月8日 平良市議会、下地町との合併を決議 1962 1月〓日 平良市下地町合併問題で下地町世論調査結果は          〓%反対。下地町議会は合併取り消しを決議      2月〓日 沖縄解放宮古郡民大会開かれる      4月〓日 祖国復帰要求宮古郡民大会      5月〓日 狩俣、池間、大神で深刻な水不足。 1963 6月6日 平良市消防庁舎落成      9月8日 真栄城徳松氏が第7代平良市長に無投票当選 1964 1月   〓年来の大干ばつ(137日間)      4月〓日 危機突破宮古郡民総決起大会に3千人参加。           「食よこせ職よこせ」各種決議採択      9月〓日 平良市立保育所開所式催される 1965 1月〓日 全宮古フィラリア防あつ実施記念式典      3月〓日 岡山県津山市と「姉妹都市」締結      6月〓日 米国ハワイ州マウイ郡と「姉妹都市」締結      8月〓日 佐藤栄作総理大臣来島。文部、厚生大臣等随行      9月〓日 農民弾圧反対宮古郡民大会(官公労前) 1966 8月7日 NHK合唱コンクールに、平良中合唱部が沖           縄県代表として全国大会へ出場        〓日 久松五勇士顕彰碑除幕式      9月4日 台風〓号コラ(第2宮古島台風)襲来。瞬間           最大風速〓・3b。住家全壊2千戸以上、半           壊4千戸以上。被害総額〓億円      〓月〓日 全沖縄高校駅伝(那覇)で宮古農林高校優勝 1967 4月〓日 祖国復帰要求宮古郡内大行進      7月1日 南西航空先島に就航      9月3日 平良市長選挙施行、真栄城徳松氏が再選就任      〓月〓日 下里公設市場周辺商店街大火災。羅災者〓世           帯。損害額〓万j 1968 1月〓日 北市場新装オープン      4月〓日 祖国復帰要求県民総決起大会      5月〓日 宮古島上水道事業、完成祝賀会      6月〓日 平良港および平良空港ターミナル落成式典      9月〓日 台風〓号デラ(第三宮古島台風)来襲。瞬間           最大風速〓・8b。家屋全半壊238戸 1969 2月4日 いのちを守る県民総決起大会(B〓撤去原潜           寄港阻止宮古郡民大会)      3月5日 下里公設市場新装落成式典      5月〓日 平良重信氏が第9代平良市長に当選就任 1970 8月〓日 大阪万国博覧会で宮古のクイチャーが公開さ           れる      〓月〓日 平良市総合グラウンド完成、第1回市民運動           会開催 1971 4月〓日 平良市民会館建設に向け、寄付額3万jを超          える 1972 3月〓日 平良市社会福祉協議会設立      5月〓日 本土復帰、沖縄県はじまる。通貨切替(1j           305円)宮古上水道企業団発足      8月5日 平良市制〓周年、市民会館落成記念式典 1973 4月〓日 平良重信氏が第〓代平良市長に再選就任      5月3日 復帰記念特別国体「若夏国体」開催(平良市           で高校男子バレーボール大会開催)      〓月〓日 池間島水道工事竣工祝賀会、全面給水はじまる 1974 4月1日 宮古救急医療センター開設      8月6日 平良中、全沖縄中学校野球選手権大会で優勝      〓月〓日 第1回宮古まつり開催      〓月1日 第1回平良市民総合文化祭 1975 1月5日 第4回沖縄県少年野球冬季大会で久松中優勝      9月〓日 平良市学校給食センター開所式 1976 2月〓日 NHKテレビのど自慢が、宮古から初の全国           放送      9月3日 県立宮古病院落成記念式典      〓月〓日 平良港第三埠頭竣工落成式典 1977 4月1日 大神島〜島尻間に定期船「かりゆす1号」就航        〓日 平良市長選挙実施、平良重信氏が無投票3選        〓日 「宮古上布」県の無形文化財に指定      5月〓日 宮古伝統工芸品センター落成式      9月〓日 平良市清掃センター落成式 1978 3月〓日 「宮古上布」国の重要無形文化財に指定      7月〓日 盛島明秀氏が第〓代平良市長に就任        〓日 交通方法の変更実施(ナナサンマル)「人は           右、車は左」 1979 1月〓日 宮古空港ターミナルビル落成、並びにジェッ           ト機就航式      3月〓日 平良市勤労青少年ホーム竣工(下里)      5月〓日 宮古広域市町村圏発足      〓月5日 平良市営球場完成(カママ嶺公園) 1980 1月〓日 池間〜平良間で、定期貨客船カーフェリー「な           かと」就航      3月〓日 大神島海底送電竣工祝賀会(7月に海底送水           施設完成) 1981 5月〓日 復帰〓年5・〓平和行進      6月〓日 平良市老人福祉センター開所式 1982 7月〓日 伊波幸夫氏が第〓代平良市長に就任      〓月〓日 平良第一、北小創立100周年記念式典 1983 7月1日 平良市「核兵器廃絶平和都市」宣言 1984 2月8日 緑の街角賞設定      4月2日 第1回八重干瀬まつり 1985 3月8日 平良市総合体育館落成式      4月〓日 第1回全日本トライアスロン宮古島大会開催      5月〓日 平松五勇士〓周年記念事業        〓日 平良市立図書館除幕式      6月1日 平良市中央公民館落成式      7月〓日 平良市栽培漁業センター開所式 1986 1月〓日 スポーツアイランドシンポジウム      5月〓日 し尿処理施設完成      7月〓日 下地米一氏が第〓代平良市長に就任      8月〓日 宮古地区国営土地かん排事業促進郡民大会 1987 〓月〓日 第〓回国民体育大会(海邦国体)秋季大会開幕 1989 7月2日 宮古〜東京直行便就航      〓月1日 平良市総合博物館開館 1992 2月〓日 池間大橋開通        〓日 平良市民球場落成      7月〓日 宮古〜大阪直行便就航 1993 2月〓日 平良市役所新庁舎落成        〓日 オリックスブルーウェーブが宮古島初キャンプ      〓月〓日 島尻の「パーントゥ」国の重要無形文化財指定 1994 7月〓日 伊志嶺亮氏が第〓代平良市長就任 1996 2月1日 携帯・自動車電話開始      5月8日 宮古広域文化ホール(マティダ市民劇場)柿           落とし公演 1997 3月7日 平良市制〓周年記念式典      5月〓日 プロヴィデンス号来航200年記念祭      7月〓日 宮古空港新ターミナルビル落成、供用開始式典 1998 8月3日 北海道室蘭市と「交流都市」締結 2000 7月〓日 ドイツ連邦共和国シュレーダー首相来島      〓月〓日 国営宮古土地改良事業(地下ダム)完工式 2001 5月〓日 ハンセン病国賠訴訟で原告団勝訴(熊本地方           裁判所)      9月3日 新給食センター完成        〓日 平良市陸上競技場、全天候型へ改修      〓月〓日 西原の産業廃棄物処理場で長時間の火災発生           (大浦地区住民に避難勧告) 2002 4月〓日 宮古地区市町村合併協議会発足、第1回協議           会開催      7月7日 伊志嶺亮市長が平良市長選挙3期当選      8月〓日 第4回全国こども民俗芸能大会に、荷川取子           ども会が九州・沖縄ブロック代表として出演      〓月3日 第1回クイチャーフェスティバル〜人頭税廃           止100年記念〜 2003 4月〓日 米軍機が宮古空港へ強行着陸      9月〓日 台風〓号マエミー直撃、最大瞬間風速〓・1           b。過去〓年間で最大      〓月〓日 平良市がWHO健康都市連合で国内唯一の理           事都市に選出される 2004 1月〓日 天皇皇后両陛下、宮古島へ初の行幸啓      2月5日 全国地下水サミット開催      3月〓日 平良市「財政非常事態」宣言      8月〓日 宮古農林高校環境班が青少年水大賞受賞(ス           ウェーデン)      〓月〓日 下地島空港の軍事利用反対し、宮古郡民総決           起大会 2005 3月〓日 平良市、城辺町、上野村、下地町、伊良部町           の合併協定調印式        7月3日 久松五勇士100周年記念事業        9日 福島県会津町と「友好都市」締結      9月〓日 平良市閉市式  市町村合併直前インタビュー  新たな島づくり住民全体で 平良市長  伊志嶺 亮  ―平良市もいよいよ幕を閉じようとしている。これまでの歴史で特筆すべきことは  終戦の苦しい中、一九五三(昭和二十八)年に平良市の三大事業、港湾と電気と水道ができたのが一番大きいのではないか。これが平良市の文化都市としての始まりだから。それによって住民生活に大きな変化があった。それから次にくるのはサラ、コラ、デラの台風。そして次に来るのは復帰。琉球政府から日本政府になったのは、平良市にとっての大きな変化だったし、平良市の大きな発展の転機になった。  ―三期十一年間を振り返り、印象に残っていることは  いろいろたくさんある。一番最初は、ラ・ピサラ問題での中、水を守ろう、ということで市長になった。その流れで宮古森林組合もできた。また、この十一年間で、宮古の選挙風土がずいぶん変わり、市民感情も昔の対立関係から比較的対話の多いような平良市になったのではないかと思う。  ―歴史的な最後の市長になるが、その思いはいかがか  国の三位一体改革に始まり、どうしても宮古の各市町村は合併しないとやっていけないということで、いろいろ紆余曲折はあったが、十月一日をもって新市ができることは大きな喜びだ。新市では、今までできなかったことがたくさんでき、宮古島が良くなるだろう。時の流れだから、平良市という名前は残らなくても良い。ただ「宮古島市平良字西里」などという形で残る。宮古の地方文化というのは非常に大事だから、これが衰退する形ではなく合併できたのは非常に良かった。  ―誕生間近の宮古島市に期待することは  これまで各市町村で取り組みたくても取り組めなかったこともたくさんある。これまでトライアスロンや東京直行便、伊良部架橋などのように宮古圏域で取り組んで成功した例がある。これから宮古圏域でこぞって、新しい島づくりに向かって、やりたいことも、やらなければならないこともたくさんある。ぜひこれをみんなで成し遂げ、将来、夢のある宮古島市を、住民の皆さんがつくってくれればありがたい。  ―今だから言える、という話は  市町村合併で紆余曲折したのが一番苦しかったし、これをまとめられたのは喜びだ。互いに譲り合うところは譲り合い、我慢すべきところは我慢し合って、人事の面や分庁方式の面でいろいろあったが、最終的には住民の幸せを守るということでまとまった。もし合併協議会で話し合ってきたことで足りないことがあるならば、徐々に手直しし、他の地方にも誇れるような宮古圏域になってもらいたい。  ―平良市の住民に、終わりにあたっての一言を  五十八年という平良市の歴史の中で住民が頑張ってきたからここまでの発展があった。これまでの各市長、議会、市民の皆さんに心から感謝したい。私自身もこの十一年間、市長として皆さんの世話になり、私としては大過なくやってこられたのではないかと思っている。市民の福祉をこれからもしっかり願い、宮古島全体が良い島になればという思いでワクワクしている。  一九〇八(明治四十一)年に誕生した「平良村」は、一九二四(大正十三)年に「平良町」となり、一九四七(昭和二十二)年三月七日、「平良市」に昇格した。戦後、水道・電気・港湾の三大事業達成が、近代化への足掛かりとなり、大型台風の襲来や度重なる長期干ばつなど、幾多の苦難を乗り越え、市制五十八年、宮古圏域の中核都市として成長してきた。キャッチフレーズは「きらきら平良 まてぃだのまち」。十月一日に誕生する「宮古島市」へ、その輝きを引き継ぐ。 圏域の中核 58年の市制に幕 「きらきら平良 まてぃだのまち」 宮古島市へ輝き∴き継ぐ  池村 恵祐 作詞   豊見山恵永 作曲  一、朝風清き漲水の   港にぎわう宝船   寄せる文化の薫り充ち   築くいらかも数まして   栄え輝くわが平良 二、黄金色映ゆ島が根の   実り豊かな田園に   街に平和の気はみちて   清き心の同胞が   いそしみはげむわが平良 三、誉れも高き博愛の   道のしるべを誇りとて   自治と共和の旗かげに   明日の光を夢見つつ   雄々しく進むわが平良 第9〜〓代 平良重信 第6代 富永寛 第〓・〓代 下地米一 第5代 嵩原恵典 第〓代 伊波幸夫 第3・4代 石原雅太郎 第〓代 盛島明秀 歴代市長 市 花 仏桑華(ハイビスカス) ガジュマル 市 木 市花木 市の魚 市の貝 センダン ハナビラダカラ 平良市歌 第2代 下地敏之 沿革年表(1947―1971) 沿革年表(1972―2005) 北小学校児童会と6年1、2組の級長、副級長で「平良市役所」の銘板を囲んで記念撮影=平良市役所前 「紆余曲折を経て合併が決まったのが印象深い」という伊志嶺市長=平良市役所市長室 *人口 35,542人 男性17,568人 女性17,974人 *世帯数 14,301戸 *面積65.04〓 (〓〓年8月〓日現在) 初代 嵩原重夫 第7・8代 真栄城徳松 市の鳥 市の蝶 ミナミクロダイ メジロ スジグロカバマダラ どこの庁舎でも同じサービスを  中尾忠作さん〓〓 会社員〓字西里〓 平良市がなくなる寂しさよりも、これからに対する期待感が大きい。合併の意義の一つである行政の引き締め、スリム化をきっちりと実現してほしい。分庁方式では、お年寄りなど生活弱者にとってさまざまな手続きなどで不便かもしれない。庁舎間の交通網の整備だけでなく、どこの庁舎でも同じサービスを受けられる体制を構築してもらいたい。 子供を安心して育てられる社会に  新城洋子さん〓〓 主婦〓字下里〓 市町村合併をすれば、これまでの小さな市町村単位とは違い視野が広がるだろうから、期待は大きい。国に言いたいことでもあるが、福祉や年金など社会保障は気になる問題。また、これからの若い人が、子供を安心して産み、育てられる環境を整えてほしい。 島全体で諸問題解決向け努力を  与儀一夫さん〓〓 フリーカメラマン〓字下里〓 「宮古島市」になれば島全体を一つの自治体ととらえ、経済問題、環境問題などを解決していくことができるだろう。平良市がなくなるのは「発展的解消」だ。これからよりよい宮古島市になり発展していけるよう、職員の皆さんには頑張ってもらいたい。  市町村合併に当たり歴史を終える「平良市」への思いや、「宮古島市」に対する期待、要望を市民に聞いた。 宮古島市誕生は「一期一会」 文化発展、人材育成に期待 銘板揮ごう者の池田さん  五市町村の合併を新たな出発のチャンスととらえ、「一期一会」と表現した。「宮古島市役所」の銘板の揮ごう者として、新市の船出の一端を担うこととなった池田俊男さん〓〓〓字西里〓。銘板を揮ごうすることになったことも池田さんにとっては「一期一会」だ。「自分としては精いっぱい頑張ったつもり。こんな機会をいただけたのはありがたい」と、「宮古島市役所」の文字に、新市が勢いよく、力強く、たくましく進んでいくよう願いを込めた。  平良市の閉市式に参加し、「一つの歴史が幕を閉じるというのは本当に感慨深いこと」と感想。平良市がなくなることに一抹の寂しさを感じながらも「一つの自治体になっても地名として残る。それぞれの地域ではぐくんだ歴史、伝統は大事にしていく必要がある」と、文化を大切にしなければならない、という思いを口にする。  教員として勤める傍ら、書の道も探求してきた。それだけに文化や芸術に対する気持ちは人一倍強い。  「宮古はスポーツアイランドとして有名になってきた。そしてこれからは、文化、芸術が花開き、大切にされるような島になってほしい。スポーツと文化・芸術と、調和が取れることで宮古島市の良さが出てくると思う」  また、地理的要素も宮古の強みだと強調。「台湾、中国が近い。宮古島市としてアジアの国々と、人材交流、文化交流を大いに進めてほしい。宮古は資源が乏しい。特に子供たちを育てること、人材育成が重要になる」と期待する。  力強い文字で宮古島市の船出を表現した池田さん。「学校だけで子供たちを育てられるわけではない。社会の中で子供たちのためにどういう環境づくりができるか」。文化の創造、人材育成。将来の宮古島市にとって大きな課題を話す一つひとつの言葉が、文字のように力強い。 歌で世界広げた30年 閉市式で最後の市歌斉唱  合唱団は一九七四年七月に誕生。毎年の定期演奏会に、平良市と姉妹都市関係にある津山市の津山少年少女合唱団や石垣市少年少女合唱団、岐阜県高山市の高山少年少女合唱団との「海の子、山の子平和コンサート」など、さまざまな交歓演奏会を開催するなど、歌を通して世界を広げてきた。  今年三月の定期演奏会は結成三十周年と銘打たれた。節目のときにしか歌わないという、サシバの渡りを歌った合唱組曲「タカドーイ」を十年ぶりに披露。息ぴったりの歌声に、聴衆から万雷の拍手が送られた。  小学校三年のころから団員として七年間歌い続けている、リーダーの赤嶺美花さん(北中三年)は「節目でしか歌わないタカドーイの合唱に参加できたのがとても大きな思い出になった」。「合唱団の名前が変わっても、今まで通り元気な合唱団で、先輩たちが築いた歴史を受け継ぎ、新たな気持ちで練習に励んでいこうと思う」と、合唱への思いをますます強くしている。  子供たちの指導、演奏会の指揮者を務めてきた宮国貴子さんは「愛唱してきた市歌の演奏が、これで本当に最後かと思うと感慨深い。集大成になったのではないか」と振り返った。  佐渡山力さんは、合唱団の三十年の歴史のうち半分、通算十五年にわたり団長を務めた。「関係機関、指導者、父母の皆さんの支援のおかげで三十年間、歌い継ぐことができた」と感謝は尽きない。  「この伝統を礎にして、今後も精進を重ね、文字通り宮古圏域の児童合唱団としてますます発展してほしい。これからも素晴らしい歌声を市民に届けるべく、決意を新たにしている」。新たな合唱団による、心地良いハーモニーを思い描いている。 平良市少年少女合唱団 閉市式で最後の市歌を斉唱した平良市少年少女合唱団のメンバーら=マティダ市民劇場 水道、電気、港湾が整備された平良市三大事業。家庭に水道が引かれ、市民は大いに喜んだ〓1953年ごろ(「平良市三大事業記念寫真帖」より)  「宮古島市」に対する市民の期待・要望  第1回全日本トライアスロン宮古島大会が開催され、島中が大いに沸き立った〓1985年4月〓日 池田さんが揮ごうした「宮古島市役所」の文字 宮古島市誕生を「一期一会」の言葉で表した池田さん 〓平良市下里の自宅  平良市少年少女合唱団(佐渡山力団長)は二十五日の平良市閉市式が最後の舞台となった。何度も歌ってきた「平良市歌」もこの日が最後となった。「平良市という名前がなくなって寂しいけど、また新しい合唱団で頑張ります」と団員たち。「宮古島市」でも新たな合唱団での美しいハーモニーが期待される。 #Y1年(平成#G1年)#M1月#D1日 #W1曜日 1955年9月21日第3種郵便物認可 (#P) #Y1年(平成#G1年)#M1月#D1日 #W1曜日 (#P) 1955年9月21日第3種郵便物認可