二〇〇三年九月、宮古島に大きな被害をもたらした台風14号の襲来から十一日で三年となる。相次ぐ自然災害が起き、全国でも災害に強い街づくりが叫ばれている中、宮古の住民はこの台風から何を学んだのか。この台風を教訓に何を進めていこうとしているか。台風から農作物を守りながら、観光振興にも貢献しようと、防風林の植栽運動を展開するボランティア組織「美(か)ぎ島宮古(すまみゃーく)グリーンネット」の活動を追った。(平良幹雄)

台風14号の影響で根元から横倒しとなった基幹作物のサトウキビ=2003年9月12日、平良鏡原地区
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台風14号の強風で押しつぶされるような形で壊れたマンゴーハウス=2003年9月12日、平良宮原地区 |
◇台風は毎年来る
台風14号の直撃から三カ月過ぎた十二月十五日。県宮古支庁に県幹部も出席して「宮古地域防災営農推進会議」が開かれた。14号の被害額が示されながら、防災営農のあり方などが提言された。
諸見武三県農林水産部長(当時)は、宮古の農業経営への安定には防風林の植栽が必要だと訴え。14号を教訓として、地域での防災意識の喚起を促した。
この会議に出席し、後に「美ぎ島宮古グリーンネット」設立を呼び掛けた一人でもある長間孝宮古支庁農林水産振興課長(同)は、防風林の必要性に強く共感した。
「台風は毎年のようにやってくる。今、木を植えなければ、五十年先、百年先もまた同じことの繰り返しだ」
出席者は「防風林を植え、災害に強い営農を」のスローガンを全員で斉唱、決意を示した。
◇百年の計
〇五年六月八日、台風による農業被害の軽減と地域の緑づくりを推進する民間主体のボランティア組織「美ぎ島宮古グリーンネット」は発足した。
会員は、地域住民ら四百二十五人・団体。14号による農業被害を教訓に、防災・防潮林の植栽やその維持管理に努めていく。
「防風林の植栽は、台風の被害を食い止めるだけではなく、緑の少ない宮古島の再生、さらには観光地としての景観も創出できる」
長間さんは、美ぎ島宮古の主役は青い海と花と緑がキーワードだと言う。「私たち住民が百年の計を持って取り組むことが必要だ」。後世へ引き継ぐ財産づくりの一つという思いも込めた。
台風に強い島づくりを目指す本格的な第一歩がスタートした。
◇低い森林率
宮古島の森林率は一六%と低い。土地改良などで、樹木が伐採されたのが要因だ。
沖縄県全体では四六%、世界でも有数の森林国と言われる日本の六六%とは単純比較はできないが、それでも地下水に頼る生活基盤や農業を主体とする島においては、寂しい限りだと言わざるを得ない。
一方、防風林を含む保安林は、森林面積の三九%と高いものの、主体のモクマオウの老齢化などで林種転換が必要な時期にきている。
耕地率では宮古は五六%と、全国(一三%)、沖縄県(一八%)を大きく上回っている。この数字でも分かる通り、農業の島だというのは一目瞭然(りょうぜん)だ。
しかし、農業を振興する上で、干ばつには地下ダムの整備が進んだものの、防風施設の整備となるとまだまだ不十分だ。
台風で毎年痛めつけられているのに、モデルとなる防風林が宮古本島内に無いのもそれを裏付ける。
「木は育つのが遅いのではない。植えるのが遅いのだ」
宮古森林組合の元常務・来間清典さんの言葉を長間さんは「名言だ」という。
◇防風林の効果
県農林水産部が一九九八年にまとめた「農地防風施設設計指針」の中に、防風林の効果が記されている。
それによると、樹木の高さの約二十倍にまで、減風効果があることが分かった。
例えば、十bの高さの防風林があると、二百b先までの農作物が風の影響をまともに受けずに済むという。
さらには、サトウキビのブリックスも防風林があるとないとでは、約二度の差が出る。反収だけでなく、品質面でも大きな影響があるのだ。
防風林はそのほか、防潮、水源涵養(かんよう)、土砂の流出、地下水保全などに大きな効果を発揮することは、自然条件やあらゆる実験データが示している。
◆◆ことば◆◆
台風14号(マエミー) 二〇〇三年九月六日午後三時にマリアナ諸島近海で発生。宮古島地方は、十日午後五時ごろから十一日午後五時ごろまでの約二十四時間にわたって暴風域に入り、十一日午前三時には最大風速北の風三八・四bを観測。同日午前三時十二分には最大瞬間風速北の風七四・一bを記録した。午前四時十二分には最低気圧九一二ヘクトパスカルを観測した。
宮古島で観測された最大瞬間風速では歴代三位。サラ(一九五九年九月)、コラ(六六年九月)、デラ(六八年九月)の「宮古島三大台風」のうち、サラ台風を上回った。
死者一人、重傷者七人、家屋十八戸が全壊、半壊は八十六戸。農作物を含めた被害総額は約百六十三億円。
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