新生宮古の行く路

 
向かうところ…

アジアのゲートウェー

仲本 栄章

 上海(シャンハイ)の東方明珠タワーに上って見渡すと、地平線まで高層ビルが林立している。回廊をゆったり歩きながらガラス越しに見つめていると、うわさ通りの進化する未来都市の底知れぬパワーを感じる。間近に迫る摩天楼はよく見ると、さまざまなデザイン建築である。福建省福州市に立ち寄っての帰路、建築万国博覧会といわれるライトアップされた、一世紀前の幻想的な建築群や急速に発展する高層ビル群が黄浦江を挟んで新旧の上海を眺めたときも同じような感想を持った。
 旅にでる前に読んだ、「日本の建築家 伊東豊雄・観察記」(瀧口範子)には、コンペとなれば日本から地球の真反対側であれ飛んでいく、凄まじいまでの建築家の行動がわかりやすくドラマチックに描かれている。そして例えば「コンペというのは、コンペティションの略語。建築界では設計競技と訳される。これから建物をたてようという施主が、複数の建築家に依頼してその案をだしてもらう。提出された案の審査をし、参加建築家にインタビューして最終的にその建築にふさわしい建築家を選んで仕事を依頼する。これがコンペである」(原文まま)と建築に門外漢の私にでもたやすく読めるようになっている。そしてアトリエ事務所といわれる建築家はそのたびごとのコンペにしのぎをけずるのである。有名だろうが無名だろうが関係なくコンペなのである。そして勝利をした建築家が時代を勝ち取るのである。建築はサバイバルゲームだと建築家の伊東は言う。
 上海の高層ビルを見ていると、五十年、百年先を見つめて、世界中の建築家たちが雄を競った戦場の生々しさまでも蘇ってくるようだ。
 桜坂で見た、映画「マイ・アーキテクノ」は、建築家であった高名な父の建築物を訪ねて地の裏側まで行く息子が、その偉大な建築物にふれていく過程で、家庭を顧みなかった父親を認めていくというストーリーであった。コンクリート建築なのに、建物に叙情が漂っているのが映像からも見て取れた。建築は偉大な文化なのだ、そして中国は新たな文化を創造しているようにも思える。
 上海のある杭州市には美しい西湖があり、今年の三月IT産業の発展に向け「西湖宣言」がなされたのは記憶に新しい。米ナスダック上場などを通じて中国のIT業界では次々と億万長者が生まれる中でさらにインターネットの分野で新たな勢力が台頭しているという。商機に敏感な中国のIT事情は新たな勢力のもとでさらに飛躍的に伸びていくだろう。 
 九月十四日に内閣府大臣政務官の平井たくや氏の「沖縄IT産業発展の第二ステージへ」の基調講演を聞いた。ねらいはこうだ。沖縄の情報通信産業は、企業進出百社以上、雇用創出約一万人以上、二千億産業。コールセンターは日本有数の集積地、大手ソフト開発の拠点、これからいかに民間主導型にもっていくかということだ。簡単にいえば国も地方自治体も民へ移行。行政改革、電子政府の基盤づくりをやる。国全体の業務の一部を沖縄が受け持つ。独自の強みを活かして、日本国内をターゲットとした市場を獲得する。さらに地理的優位性を活かして、アジアとのブリッジ機能により、コスト競争力を取り込み、アジアのゲートウェーを目指す。ということに集約できそうだ。そして離島であり、沖縄と同じ面積・人口で大地がサトウキビで覆われ、夏には台風が訪れる世界的な観光地モーリシャス共和国のITによる産業振興を取り上げていた。
 どうやら平井プロジェクトを沖縄で実現させるには建築家並のタフさが要求されるようだ。
 数年前に我が家でホームステイをした中国人教師のポンシャンの口癖はスタディ、スタディであった。車は持たないが、パソコンは二台持っていると言っていた。大学の先生になって高給取りになるのだと強い意志をもっていた。今頃は間違いなく高級車で上海の高速道路を気持ちよく飛ばしているだろう。
 福州の沖縄会館に事務所を持つ、与那国出身の東浜さんは畳の製造販売で右肩上がりに成長している会社だ。上海に支店を持ち中国全土をとび回っている。「…中国と台湾の仲が悪いうちがビジネスのチャンスだよお。ウチナーンチュは眠っているのかね」と激しく語る声が耳元に焼きついている。

 仲本栄章(なかもと・えいしょう) 1947(昭和22)年6月8日生まれ。58歳。那覇市出身。日本大学法学部卒。70年に琉球電信電話公社入社。那覇電報電話局庶務課長、NTT沖縄支社沖縄情報案内センター所長、沖縄支店副支店長、エヌ・ティ・ティ・ドゥ取締役ITビジネス本部長などを経て、2003年、同社代表取締役社長。06年7月、NTT西日本−沖縄取締役副社長 

<<<新生宮古の〜ページへ