新生宮古の行く路

行政の担い手としての職員の役割


砂川 泰政

 行政の仕事の大部分は法律、条令、規則、要綱といった、いわゆる法令規則に沿って制度化されている。制度化され恒常的に継続される事務事業には必要な予算が計上され、一定の手続き、書式などが決められていて業務が反復される。
 制度化された仕事でも市民の声を真摯に受け止めると、その制度の不備、手続きや書式に欠点があることに気づくことがある。
 平成十二年、県の事業であった宮古の産業まつりの運営を民間に任せましたが、そのきっかけになったのは、「マンネリ化している」「会場が狭い」「駐車場がない」などの宮古の人たちの声であった。
 宮古支庁の担当者は「マンネリ化」の原因を検討して、大きな原因のひとつに予算の使い方にあることに気づき、少ない予算を効率よく使うためには、産業まつりの運営組織を変えることが合理的であり、地元の産業育成を地元の人が考えるうえでも県は、その役割を代わることが妥当だと考えたわけです。
 公務員として日常業務に精通し、しっかりと仕事をすることは職員として当然のことであるが、様式化された現状に慣れてしまうと、新しいことに取り組む意識が希薄になる。仕事を通して派生する問題や市民から求められる課題に柔軟な姿勢で対応することも大切なことであることは言うまでも無い。
 県が宮古支庁舎の建て替えを企画したのは、組織機構の大幅な見直しを視野に入れてのことであった。年号が平成に変わって国政も自民党単独の内閣を維持できず、社会党に政権を渡した時期で、当時の県知事はいわゆる革新系の気鋭の知事であった。宮古支庁長は、その知事からの声がかりで知事室を訪ねることになる。知事は、行政の長として何が求められているか、何をなすべきかを常に考えて仕事をすべきであると、訓示とも、業務命令とも取れるような話のなかで二、三の重要な施策を宮古支庁の課題としたものの一つが支庁舎の建て替えを早急に取り組むことであった。
 市役所や旧支庁舎一帯は古くから宮古の政治、文化、教育、経済の中心地であった。その地を離れて新庁舎を建設することは、これまでの行政の姿を変えるかもしれないし、地域に影響があるかもしれない。そう考えると、これまでの宮古の総合的な行政史を記録として残しておく必要があるのではないかということで、「行政史」が編纂された。
 「行政史」刊行は庁舎移転と県の組織機構改編という大きな事業計画のなかで、当初から予定された事業ではなかったが、今では宮古の行政の流れを知るうえで貴重な資料となっている。
 県の出先機関としての宮古支庁は、直接的な施策決定権限は制限されるが、制度を乗り越えて宮古圏域への支庁の思いは本庁職員にも伝わるものです。
 宮古島市の職員に期待するのは、市民とともに考え、市民の知恵を生かし、市民が行うこと、行政が担当することを明らかにしながら積極的、意欲的そして柔軟に仕事を進めることです。
 自立した自治体として宮古島市の持つ個性を「質」としてどのように具体化し、整備していくのか政策・制度開発に取り組むことは合併したばかりの自治体ゆえに必要なことです。

 砂川 泰政(すなかわ・やすまさ)1942(昭和17)年6月16日生まれ。63歳。平良字東仲宗根出身。宮古高校、琉球大学文理学部卒。73年、県職員に採用。下地島空港管理事務所次長、宮古支庁総務・観光振興課長などを経て03年退職。現在、人間総合科学大学4年在籍。

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