新生宮古の行く路

 
再考・・親子の絆

〜子どもと向き合う覚悟〜

宮川 時子

 さまざまなメディアを通して連日報道される事件・事故、中でも胸を痛めるのが少年による非行・犯罪や、大人による弱小者の虐待事件、殺傷事件等である。親子の絆や人と人とのかかわりをどこにどう求めればよいのか憂慮される昨今の状況がある。
 少年非行に眼を向けたとき、本県においても、二〇〇四年の少年の検挙・補導の人員が一九七二年の本土復帰後、最高に達したという情報を眼にしたが、その中で非行の低年齢化や沖縄県特有の夜型社会が少年非行や怠学の一要因として指摘されていた。また、少年非行増加を、時代や社会の変化、学校教育・教育行政の対応の在り方等に起因すると指摘する声が大きい昨今であるが、幼児期からの父親・母親の子どもに対する向き合い方をこそ、再考すべき要因として挙げたい。
 「新しい時代の義務教育を創造する」(中央教育審議会答申、二〇〇五年十月)における記述の中では、家庭や社会の教育力が低下する中で、生活習慣の未確立による問題行動等が課題として指摘されている。
 家庭は「子どもたちが最も身近に接する社会」であり、基本的な生活習慣や、豊かな情操、善悪の判断などの基本的倫理観、社会的なマナーなどの基礎をはぐくむ場でもある。すべての教育の出発点が家庭にあるといっても過言ではなく、親子関係の有り様を含め、徹底して親と子どもとのかかわりについて探ることが必要だと考える。
 先日、本校では琉球大学助教授の仲座栄三先生と「宮古島市環境を考える市民委員会」の渡部千秋さんを招聘(しょうへい)し、校内研修を開催する機会を得ることができた。講話の中でお二人が強調しておられた、「子どもと向き合う覚悟」という言葉が鮮烈な印象として残っている。この言葉には、親も教師もかけがえのない個々の個性とどう向き合うべきかを鋭く指摘・示唆するものがある。
親と子のかかわりに思いをはせるとき、七十歳で病に倒れ他界した父との思い出が脳裏に浮かぶ。父は大正十二年の生まれで、太平洋戦争の真っただ中に命を託された人間でもあった。幸い、戦地から母の元に命を持ち帰ることができた父は、幼い私たちに戦争の愚かさや、生命の尊さ、平和であることの意味を語り続けてくれた。幼い私にとっては理解しがたい内容であったが、暖かいランプの灯の下で、家族が身を寄せ合い語り合った日々が懐かしく思い出される。苦しい家計をやりくりして、観劇や映画にもよく連れて行ってくれた。メンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲」やベートーベンの「運命」を聴かせてくれたのも父であった。今にして思えば、美しいもの・本物に触れる機会や場を意識的につくり、豊かに生きることの意味を教えていたのかもしれない。
 道路工事と畑仕事に明け暮れた父の一生であったが、愚痴一つこぼさず、雄々しく生きた父の姿、宵のひとときだけは、確実に子どもに向き合い、共に過ごしてくれた父の思い出が、誇らしく確かな輝きで心の中を照らしてくれる。困難にぶつかり原点に立ち返るとき、支えとなり指針となるのが親子のかかわりを通して父が残してくれた心の財産である。
 現在、家庭の教育力・地域の教育力の回復と充実を目指し、「子育て支援」という観点からさまざまな取り組みが国や県、市町村レベルで推進されている。そのこともさることながら、いま一度、それぞれの家庭において、それぞれの親が、親子関係の有り様に眼を向け、「子どもと向き合う覚悟」をすることこそが、健やかで豊かに生きる子どもたちをはぐくむ原点であると考える。

 宮川 時子(みやかわ・ときこ)1950(昭和25)年4月15日生まれ。56歳。下地字川満出身。西表小・中学校、池間中学校、下地中学校、砂川中学校、平良中学校、西辺中学校教諭、宮古教育事務所指導主事、主任指導主事を経て現在、宮古島市立鏡原中学校長。
 

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