新生宮古の行く路

 
「さとうきびは宮古の宝」

さとうきび新制度への対応

長濱 哲夫

 ひと昔前には、各集落において黒糖工場が立ち並び、製糖期には大人たちが馬をむちで叩いて圧搾し、市内の商店街に買い物客が満ち溢れて活況を呈するという風景がありました。沖縄製糖、宮古製糖の大型分蜜糖工場が設立された以降においても、NCO310号の登場による飛躍的な生産量の増加と、復帰後の価格の上昇を背景に、さとうきびは宮古経済を支え続けてきました。ちなみに、農家、糖業者、物流業者等の関連産業を含めると、さとうきびには生産額の四・三倍の経済効果があるといわれています。宮古における今期のさとうきびの生産量は約二十七万d、生産額五十七億三千二百万円で試算すると約二百四十六億五千万円の経済効果になります。
 これまで宮古農業の基幹作物であり続けた理由としては、農家の増産に向けての取り組みはもちろんですが、他の作物と比較して台風に強いことや、作れば必ず売れるという制度に支えられてきた、いわゆる「制度作物」であったことを無視することはできません。そして、この制度が今大きな転換期を迎えています。
 さとうきびについては、これまで最低生産者価格が定められ、すべての生産者に対して最低生産者価格を保証する仕組みが講じられてきましたが、「食料・農業・農村基本法」の趣旨に添って、価格政策から所得政策への転換が行われようとしています。平成十九年度(今期植付けする夏植え)からは、最低生産者価格が廃止され、需給事情を反映したさとうきび取引価格が形成される制度に移行することが、昨年十二月に決定されました。同時に新しいさとうきび経営安定対策が実施されることになり、さとうきびの安定生産を図る観点等から、対象者の要件や支援水準の考え方が示されました。
 これまでは、個々の農家が生産したさとうきびを工場へ搬入すると、一定期間の後、原料代金として最低生産者価格に相当する分と経営安定対策費が一括して支払われてきましたが、今後は、工場からは原料代金のみが支払われ、その後申請により国から「経営安定対策費」が支払われる二段階方式になります。
 また、経営安定対策費の支払いを受けるには対象者としての資格要件を満たす必要があります。この要件とは、@認定農業者や特定農業団体、A一定の作業規模を有する者(収穫面積が個人一f、組織四・五f)、B共同利用組織に参加する者C耕起・整地・植付け・収穫等の作業を委託する者、Dその他特例として認められた農家であること、等が要件となります。@あるいはAの用件を満たしていない農家の場合、そのままでは経営安定対策費を受け取ることができないことになりますが、植付けや培土等の基幹作業について要件を満たしている農家に委託するか、ハーベスター収穫することでCの要件を満たすことになりますので、経営安定対策費を受け取ることができます。また特例措置として、生産組織に加入すれば少なくても三年間は一f未満の農家でも経営安定対策費を受け取ることができます(生産組織においては、中期的な生産計画の作成が求められています)。なお、これら資格要件のひとつに該当すれば経営安定対策費の支払い対象となりますが、いずれの要件であっても、農家自らが農政の変革を認識し、さとうきびは個人で作るのではなく地域全体で計画的に作ることが求められています。
 一方、農家の最大関心事である支払い時期について、工場からの原料代金の支払いはこれまでと変わりありません。しかしながら、政策支援である経営安定対策費を受け取るには他の補助事業と同様に一連の申請手続きが必要となります。農家の中には申請書作成の煩雑さや支払い時期の遅れを危惧(きぐ)されている方もあると思いますが、申請手続きについては、個々の農家が申請するのではなく、JAで一括申請する方向で調整が進められています。また支払い時期についても、可能な限り早期支払いできるよう協議しているところです。
 宮古地域は、台風や干ばつの自然災害等の常襲地帯であることや、離島のハンディである輸送コストの課題等があり、さとうきびから他作物への代替が困難なことから今後とも宮古農業の基幹作物として重要性に変わりはないと考えます。その一方で、今般示された新たな制度への対応を誤ると収穫面積の小さい農家においては持続的な営農が困難になり農家所得の減少につながると同時に、地域経済にも深刻な影響が懸念されることも十分認識しております。
 「さとうきびは宮古の宝」を合言葉に、JAも生産者の代表として行政の指導のもと、製糖工場と連携して支店ごとに生産組織を育成し、農家が安心してさとうきびの増産に専念できるように取り組みを強化していく考えであります。

 長濱 哲夫(ながはま・てつお)1953(昭和28)年11月30日生まれ。52歳。宮古高校卒業後、75年に平良市農業協同組合に入組。JA宮古郡企画管理部長、JAおきなわ農業経営対策室長を経て、2004年8月、JAおきなわ宮古地区事業本部副本部長。
 

<<<新生宮古の〜ページへ