新生宮古の行く路

教育の味をかみしめる日々
 I’m Proud of you!

宮川 時子

 人生には心震える感動の「時」が誰にでもある。そして、その「時」を共にする生涯忘れることのできない仲間が必ずいる。
 今、公立の各中学校では卒業式のシーズンを迎え、本校でも先日十二日に「第五十八回卒業式」を終えたばかりであるが、私にはT中学校での鮮烈な卒業式の思い出がある。今から十年程前になろうか、卒業式が荒れに荒れた時代がある。爆竹、メリケン粉、ロケット花火入り乱れた、まるで戦場さながらの卒業式との遭遇であった。花道の終了後、三学年主任のS教諭がガックリ肩を落とし「時子さん、僕たちのこれまでの教育は何だったんだろうね」の重く苦しい一言がいまだに胸を突く。
 次年度、私は生徒会顧問として「生徒が運営に参加し関わる卒業式」づくりに取り組む機会を与えられた。それからの三カ年間は、職場の仲間と生徒との苦悩と信頼と感動の日々であったと言っても過言ではない。子供たちの実態を分析し、現状認識をする中から見えてきたものが、共に高め合うことの厳しさ、生徒相互の連帯、彼ら自身の確固たる主体の欠如であった。
 文部科学省では「生きる力」の育成が声高に叫ばれて、学習指導要領における教育課程編成の一般方針の中では、「生徒に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開するなかで、自ら学び自ら考える力の育成を図る…」ことが示されている。まさに、T中学校に求められていたのは、そのことであった。
 子供たちが主体的に考え判断し行動する力を育成するために、計画的・継続的な取り組みが急務であり、教師集団の確かな見通しと鋭い指導性が求められた。
 子供たちは生徒会を中心に、学校の課題、彼らの課題を少しずつ解決していった。「自分たちの手で、感動の卒業式を創ろう!」を合言葉に、三年間をかけて卒業式会場や地域の商店街から爆竹、ロケット花火、メリケン粉を見事に無くした。
 生徒総会、代議員会、学級会、臨時生徒集会等での丹念な討議など、長い月日を通して卒業式づくりに頑張った生徒会長のTさんは、卒業式当日、胸を張って私にこう伝えた。「私たちのこれまでの活動や思いは、きっとみんなに伝わると思うし、私はみんなを信じる!」。生徒会執行部の面々と固い握手を交わし卒業式のスタートを見守ったことが、昨日のことのように鮮やかに思い起こせる。三部形式の卒業式を無事に終えた後、生徒会執行部の役員と互いに駆け寄り、抱き合い、涙を流し、言いしれぬ感動の時を共有することができた。その裏には、校長の指導性、学級担任の努力、生徒指導主任の深い子供理解、すべての教師の思いがあった。これほどまでに学校組織が総合的に機能した感動的な事実を私は知らない。
 T中学校で感動の時を共有し、ご勇退なされたM校長から、後日送られてきた手紙を、私は今でも大事にしまっている。その手紙には、「T会長を先頭に皆頑張っているね。皆さんの行いがあれこれ目や耳に入ってくるのでよく分かります。皆さんには自主・自立、そして自治の能力があります。それは卒業式の日に十分に証明されました。T中学校に居た者として声を大にして言いたい。I’m Proud of you!=c」の一節、「中学生の生き方」「生徒会の在り方」について、さらに深く考え、積極的に発信してくことを求める内容が力強く書きつづられていた。
 子供の語る言葉は、真実を突き刺している。子供の声に耳を傾け、子供の心に触れ、本気で教育を語るとき、答えは必ず出てくることを私は確信している。多くの子供たちとの出会いを通して、学校教育に携わる者としての自分を見直すことができた。
 あれから数年が経過したが、感動の時を共に過ごした子供たちは社会人や大学生になり、時には私の下を訪れてくれる。成長した子供たちの口からは、必ず、生徒会活動や卒業式づくりの試練と感動の日々、己の将来の夢や進む道があの日々に支えられていることが熱く語られる。私はそのたびに子供たちから元気をもらい、教育の味をかみしめる。

 宮川 時子(みやかわ・ときこ) 1950(昭和25)年4月15日生まれ。55歳。下地字川満出身。西表小・中学校、池間中学校、下地中学校、砂川中学校、平良中学校、西辺中学校教諭、宮古教育事務所指導主事、主任指導主事を経て現在、宮古島市立鏡原中学校長。

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