新生宮古の行く路

不易流行〜うずまきパンの考察から〜

仲本 栄章

 甘党ではない。しかし宮古島に行くとなぜか、「うずまきパン」である。沖縄本島にも「うずまきパン」はあるが見ても手を伸ばす気が起こらない。やはり伊良部島の「うずまき」である。グラニュー糖のジャリジャリ感が柔らかな生地と絶妙なハーモニーを醸し出す。うまい。いつか宮古空港の土産店で、数個求めていたら、琉球放送の某役員が段ボール箱いっぱいに買い上げていたのにたじろいだことがあった。
 「不易流行」という言葉がある。
 松尾芭蕉が句作に当たっての神髄を示したもので、意味は「新しさを求めて絶えず変化する流行性にこそ、永遠に変わることのない不易の本質があり、不易と流行とは根本的において一つであるとし、それは風雅の誠に根差すものだという説」(小学館「国語大辞典」)具体的に言えば、十七音や季語は鉄則として守り、新しい表現にチャレンジしていかなければいけないが、風雅の誠としての根源は一つであるということか。
 風雅がどうの、誠とはという解釈はさておいて、「不易流行」は俳諧を巣立ち、あらゆる分野において拡大解釈されている。例えばある企業においては、創業者の思いをベースに時代のニーズを積極的に取り入れたいとして社是にしている会社もあるし、伝統の継承と創造するという、二つの側面から芸術の定義付けをする演奏家もいる。「うずまきパン」に例えればどんなに時代が変化しても、渦は巻いていなければいけないし、クリームのジャリジャリ感も失ってはいけないことが「不易」で、「流行」は「紅イモうずまき」や「ココアうずまき」「二色うずまき」というように、新しさを追求していくことが「流行」ということになり、実は相反しているように見える二つの言葉は同じで根源的なものであるということになる。
 私見だが、トリノオリンピックにおける荒川静香選手の壮麗な演技も、新たな演技を受け入れながら、採点にはまったく加味されないと分かりつつ、「イナバウアー」にこだわったのも「不易流行」と言えるのではないか、持ち前の個性は失ってはいけない。
 情報通信に例えれば、黒電話から現在のIP電話に進化しても根底のコミュニケーションツールとしての役目は変わることはない。
 インターネットの普及によって、情報は豊かに、至る所で、たっぷりと情報を引き出せるようになったが、情報満載の時代にあって、きらりと輝いていくのは、その個性であろう。「うずまきパン」もさることながら、宮古の風景で言えば、春の平良港から市内へ続く坂道は、上りきった後に何か出会いがありそうでわくわくするし、東平安名崎を渡る若い風を受けると力がよみがえってくる。また、伊良部島の渡口の浜のパウダー状の砂浜は、ビーナスが住んでいたのではないかと思えるほど、日本一美しい海岸だと思う。
 今やIT革命などと言う人もいないほどにITは活用され、パソコンは広く普及している。今後もブロードバンド利用者はさらに「流行」という形で増え続ける。ブロードバンドサービスは遠隔地であれ、離島であれ、超高速ネットワークにより短時間で高品質、高精細の画質を提供する。各家庭の需要は広まるばかりだろう。
 わが宮古島も、二〇〇五年の十月にはサービスが開始されたが、利用者数はまだまだ低いありさまである。今後の宮古島の活性化を考えていくとき、キーワードとなるのは何が「不易」で何が「流行」であるかを熟慮することである。
 私見としては、宮古島の永遠に変えてはいけない風景や、あららがま精神や郷土愛を「不易」とし、日々変化していく新たな情報をネット上でつくり出していくことが「流行」であり、永遠性のある島の活性化につながっていくものと確信する。

 仲本栄章(なかもと・えいしょう) 1947(昭和22)年6月8日生まれ。58歳。那覇市出身。日本大学法学部卒。70年に琉球電信電話公社入社。那覇電報電話局庶務課長、NTT沖縄支社沖縄情報案内センター所長、沖縄支店副支店長、エヌ・ティ・ティ・ドゥ取締役ITビジネス本部長などを経て、2003年、同社代表取締役社長。

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