新生宮古の行く路

不可解な二重構造

 市役所の組織機構に疑問

砂川 泰政

 戦後六十年、それぞれの課題に取り組んできた五つの市町村が合併して宮古島市として誕生するまでに多くの論議と時間が費やされてきたとはいえ、個別の自治体として歩んで来た市町村が一つの行政区域として統合されれば、そこにはいろいろな歪みというか行政の不具合とでもいえるような事態が起こることは当然である。
 いま新生宮古島市がどのような状況にあるかを基本的な条例を基に検証してみた。
 宮古島市行政組織条例
 宮古島市行政組織条例は、地方自治法第一五八条第一項の規定に基づき市長権限の仕事を総務、企画政策、福祉保険、経済、建設の五つの部に分けて、手分けしてやらせます、という規定を定めた。一般的に条例に定められた日常業務の大半は課長権限の範囲で処理され、部長決済で済むといった一連の流れがあって、その流れに沿った責任の所在が一般市民にとても分りやすく定められているのが行政組織条例である。
 宮古島市の行政組織は一応条例規定に沿って編成されてはいるが、組織機構全体が不可解なものになっている。宮古島市役所の位置を定める条例(条例第一号)で市の庁舎は、平良庁舎、城辺庁舎、上野庁舎、下地庁舎、伊良部庁舎とする、と五カ所の役所庁舎を定めている。この条例のいう庁舎とは建物を特定するばかりでなく、法律でいう内部組織を分けて市長権限の事務をそれぞれの庁舎で分担しますという意味が込められている。法律でいう内部組織とは、行政組織条例で定められた部のことで、市には五名の部長が市長に代わってその事務を行い、市長の身近にあって業務の進ちょくや処理状況について市長に報告をし、指示を仰ぐことになるのだが、その部長たちが四カ所の庁舎に分散配置されている。
 複数の庁舎があって、市長権限業務を委任された部長たちも分散配置されるという珍しい組織構成の中に、総合支所、支所といった考えが持ち込まれて、宮古島市総合支所・支所及び出張所設置条例(条例第六号)が定められ、総合支所長、支所長といった新たな職制が置かれると組織機構そのものが混とんとしたものになってしまった。
 宮古島市総合支所・支所及び出張所設置条例
 宮古島市総合支所・支所及び出張所設置条例(条例第六号)に規定される支所等は条例第一号に定められた市役所の庁舎と同じところにある。端的にいえば旧市町村役場は宮古島市の役所であり、その支所でもある。支所には内部組織の部長と同格の地位に在る支所長が配置され、部長と同様な権限が与えられている。
 条例第六号を制定するにあたって、根拠規定となっている地方自治法第一五五号第一項の理解に誤りがなかったのか、条例第五号を無視するような形で第六号が制定された理由はどこにあったのか、宮古島市のこれからを考えていく上でこの二つの条例の持つ意味を問うことは重要なことであると考えている。
 平良支所(庁舎)に事例の一つを拾ってみた。総務部長の所管として市民生活課が課長以下十数名の職員で業務に当たっている。かたや、平良支所長の所管として市民生活班が課長級の班長以下十名余の職員が配置されている。部長と支所長、市民生活課と市民生活班、同じ名称の課や班の配置が簡素で効率的なものといえるのだろうか。
 宮古島市の二つの条例によって二重構造となっている現状の組織機構では、市民の福祉と暮らしを守っていけるのか、命と財産をゆだねられるのか甚だ心もとない。市長は現状を直視して、宮古島市役所と総合支所・支所のあり方、部長と総合支所長・支所長の役割と責任を再検討する必要があるのではないか。リスク管理の上からは各部長は平良庁舎で執務させることが望ましいと考えるものである。

執筆者プロフィル
 砂川 泰政(すなかわ・やすまさ)1942(昭和17)年6月16日生まれ。63歳。平良字東仲宗根出身。宮古高校、琉球大学文理学部卒。73年、県職員に採用。下地島空港管理事務所次長、宮古支庁総務・観光振興課長などを経て03年退職。現在、人間総合科学大学4年在籍。

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