自信の味で生涯現役


「丸裕」代表者

根間 タマ子さん(70歳)

(平良字狩俣)

 一本三十円。昔懐かしのさわやかな甘さを味わえば、誰もが子ども時代の夏の日に帰るだろう。
 アイスキャンディー、アイスボンボンを作り続けて四十年。ストロベリー、ミルク、オレンジ。おなじみの味に十年ほど前から黒糖味も加わり、観光客のファンも広がっている。
 父は畜産、母は豆腐作り、夫は漁業と、家族全員が早朝からそれぞれの仕事に忙しい家庭にあって、自身も何かしたいとうずうずしているときだった。知り合いから小さな冷凍施設を譲り受け「丸裕」を創業。手動モーターの機械でアイスキャンディーを作り、自転車での配達に店々を飛び回った。夕方をすぎると製造所の半スペースはアイスコーヒーを出す喫茶店になり、一日の仕事を終えた人たちの社交場として夜遅くまでにぎわったという。
 台風で停電になると、溶けるのを待つアイスキャンディーを惜しんで近所の子どもたちにプレゼント。「よその家の子どもたちは、台風になるとアイスキャンディーが食べられると喜んだそうだよ」と、懐かしそうに話す顔が緩む。今でも、島外に出て暮らすわが子に「宮古の味」としてアイスキャンディーを送る親たちもいるという。「『狩俣のおばさんのでないと嫌だ』という子もいるそうだよ。もうとっくに大人になっているのにね。でも、そんな声を聞くと素直にうれしい」と話す表情に陰りはない。
 それでも「狩俣のおばさんのアイスキャンディー」ができるまでには葛藤(かっとう)もあった。「人の舌はみんな違う。甘いと言う人、甘くないと言う人。みんなに満足してもらうためにはどうしたら…と迷った時期もあった」。思い悩んでたどり着いた答えは「自分の味に自信を持つこと」。お手本もきっかけもなかった。悩んだ末に気持ちが固まり、さっぱりと吹っ切れたという。
 六人の子どもを育てながら製造、配達と仕事を切り盛りするのは多忙を極めたが、苦に感じたことはなかったという。「働くのはごく当たり前のことだから、やめるなどという発想がなかった」。もちろん、今でも─。寸暇を惜しむ子育て中も、子どもが手を離れ、婦人会活動や趣味を楽しむようになっても、そして孫の世話に喜びを感じる今に至るまで、生活環境は変わっても「仕事」への姿勢は変わらない。アイスキャンディーを一本一本作ることが、いつも「生活」の基盤そのものだ。
 「夫や両親の頑張る姿に触れて力がわき、子どもたちの協力があってこそここまで来れた」と謝意を語り「六人の子どもたちが家事を分担していたし、親が塾の送迎をすることもない。今の時代は、親が子どもに振り回されているように見える」と時流を見つめる。
 現在は、車の助手席に孫を乗せて配達に出掛けることもしばしば。そのかわいい横顔を見ると、さらに働く意欲がわいてくる。
 商店の冷凍ケースの中では、新商品が並ぶ中、今もアイスキャンディーとアイスボンボンが定位置を陣取っている。「自分の味に自信を持って、もちろん生涯現役で」。子どもにも大人にも、観光客にも愛されて、ますます作り手の腕が鳴る。
 根間 タマ子(ねま・たまこ)1936(昭和11)年8月5日生まれ。宮古島市平良字狩俣出身。狩俣中学校を卒業後、理髪店や網元の家業を手伝い、58年に結婚。67年に「丸裕」創業。夫、寛雄さんとの間に子ども6人。

                                    (砂川智江)

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