豆腐の味は母と海の味

石嶺とうふ店経営
        
 山村 洋子(ようこ)さん (44歳)

(平良市西原)

wpe7.jpg (5288 バイト) 宮古島の新鮮な海水を使った、昔ながらの島豆腐作りを母から受け継いで約 5年。夫の日出男さんと2人ですべての行程を1つ1つ丁寧に繰り返し、母の味をかたくなに守り続けている。
 小さいころから豆腐を作る母親の姿を見て、まきの香りとほんわりと漂う大豆の香りに包まれて育った。高校卒業後、神奈川県にある大手企業へ就職し、その後結婚。夫の実家がある大分県で生活していたが、年とともに作る豆腐の量が減っていく母のことが気掛かりだった。「あの豆腐の味がなくなるのは寂しい。味を引き継いでいきたい」との強い思いから、島へ帰ることを決意。夫もサラリーマン生活に終止符を打ち、 2人で宮古島へ生活の拠点を移した。
 そのときから、洋子さんの本格的な豆腐作りが始まった。職人気質の母は「自分で学べ」「仕事がすべて教えてくれる」と細かいことは教えず、ただただ一緒に豆腐を作り続けた。沸騰した豆乳の香りをかいだ時、「この大豆の香りを絶やしたくない」という思いが洋子さんの中でいっそう深まっていった。2000年に母が引退。その時正式に「石嶺とうふ店」の看板を引き継ぎ、夫と 2人での豆腐作りがスタートした。
 午前1時起床。前の晩から水に浸した大豆を砕き、絞る。まきを使い、大きなかまどで絞った汁を煮立てる。タイミングを見計らってくんできた海水を入れ、ゆし豆腐を作る。固まったゆし豆腐を木の枠に入れ、何度も押し込みながら豆腐を形作る。すべてがその繰り返しだが、豆乳、ゆし豆腐、豆腐、それぞれで味も香りも違う。洋子さんの幼いころから染みついた香りと舌先に残っている味が、今の石嶺とうふを作りあげている。
 海水を使った島豆腐の魅力は「香り」。「出来立てのゆし豆腐を鍋からお茶碗に入れ、一番はじめに口に入れた瞬間の味を忘れないでほしい」。大豆の味、香り、海水のわずかな塩味すべてが豆腐本来の味を作り出している。特に食べてもらいたいのは子供たち。「子供はこれからいろいろな物を食べて、いろいろな味を知っていく。そうした中でも、ちゃんとした豆腐の味を分かっていてほしい」というのが願いだ。
 健康食ブームとともに雑誌やテレビ、新聞など多くのマスメディアに取り上げられ、海水を使った「石嶺とうふ店」の名は瞬く間に広まっていった。直接見学に訪れる観光客も多く、時には豆腐作りを体験していく人もいるという。少しでも多くの人に「本物の豆腐の味」を知ってもらおうと、朝早くてもゆし豆腐が出来上がった時間帯に来ることを勧めている。
 「はじめは、かげで『どうして豆腐屋をするのか』などと言われたりしたけど、豆腐屋として働いていくのは恥ずかしくない。今、こうして多くの人に評価してもらっているのも、これまで続けてきたご褒美だと思っている」。ひたすら守り続けてきた豆腐の味には自信がみなぎっている。
 ゆし豆腐を食べた人々に書いてもらう感想ノートに、ある人が「宮古島の海を食べているようだ」と記してあった。洋子さんたちが作る豆腐は、まさに大地と海の恵みが凝縮された自然の味がする豆腐だ。

 山村 洋子(やまむら・ようこ) 1959(昭和34)年12月15日生まれ。平良市西原出身。宮古高校卒業後、神奈川県の大手企業へ就職。夫の故郷・大分県で生活した後、1993年に帰郷。夫・日出男さんとの間に、1男1女。

  (山里勝美記者)

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