伊志嶺氏が初代市長に /下地氏に413票差

宮古島市長選

 市町村合併に伴う宮古島市長選挙の投票が十三日行われ、即日開票の結果、革新系無所属で旧平良市長の伊志嶺亮氏(72)=社民、社大、共産、民主、自由連合推薦=が、保守系無所属で旧城辺町助役の下地敏彦氏(59)=自民、公明推薦=を413票差で退け、宮古島市の初代市長に当選。伊志嶺氏は平良市長を合わせると四回目の当選となった。来年十一月の県知事選挙の前哨戦第一弾と位置付けられた今回の選挙だったが、県政奪還を目指す「反自公」勢力が増幅した形で、稲嶺県政が支持する下地氏を退け当選した。当日有権者数は四万二千百五十七人で、投票者数は三万六千百九十五票、投票率は八五・八六%だった。

 今回の選挙は平良、城辺、伊良部、下地、上野の五市町村の合併に伴うもので、この中で唯一の革新首長だった伊志嶺氏は六月に出馬を表明。運動を先行させた。下地氏は選考作業が手間取ったこともあり、出馬表明は八月中旬にずれ込んだ。
 伊志嶺氏は三期十一年の平良市長としての実績を強調しながら、下地島空港の平和利用や自立安定型経済の構築などを訴えた。先行した伊志嶺氏は平良ばかりでなく出身地の伊良部でも精力的に動き、支持を浸透させた。また九月の衆院選で「反自公」勢力の結集で当選した下地幹郎氏が伊志嶺氏支持を打ち出したことが、従来の保守層を分断し、運動に弾みを付けた。結果的には上野で苦戦したものの平良、伊良部で圧倒した。
 下地氏は県政与党候補をアピールし「国県との太いパイプによる経済活性化」を中心に訴え、県幹部や県選出国会議員などが応援に入り支持拡大を図ったが実らなかった。
 投票は午前七時から市内二十二カ所の投票所で一斉に始まり、午後六時(大神島と宮古南静園は時間繰り上げ)まで行われた。開票は午後八時ごろから宮古島市中央公民館で行われ、開始から一時間余すぎた午後九時十三分、宮古テレビの実況放送で「当確」が打ち出されると、伊志嶺氏の選対事務所では集まった支持者から一斉に歓声が上がり、当選を喜び合った。
 当日有権者数は四万二千百五十七人で、投票者数は三万六千百九十五票で投票率は八五・八六%だった。今回は期日前投票で有権者の約三割、一万二千五百八十二人が投票した。
 当選者に対する当選証書の付与式は今月十六日午後二時から宮古島市役所で行われる。

 伊志嶺 亮(いしみね・あきら)1933(昭和8)年1月19日生まれ。伊良部字佐和田出身。57年岡山大学医学部卒。琉球政府立南静園長、宮古保健所長、宮古病院長などを経て、64年に伊志嶺医院開業。94、98、02年に平良市長当選。05年宮古島市長当選。


写真説明=宮古島市の初代市長に当選し支持者と共に万歳で喜ぶ伊志嶺氏(中央)=13日午後9時13分ごろ、平良字下里の同氏選対事務所

 

 

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