ぷからすプレス

まちからむらから
 
ぐ す く べ
 

(2006/01/25掲載)

 

この人ひとこと製糖期で大忙し
  砂川 武さん(44歳) 砂川2区原料員
                          

 前任原料員からの推薦で昨年から砂川二区の原料員をしている。約三十戸ある農家のサトウキビ生産量調査や、搬入の割り当てなどを行うことが役割。五十−七十代の原料員が多い中、砂川さんは若手の方だ。
 「仕事が終る夕方から畑の見回りを行い、予定通りキビ刈りがしてあるか確認する。砂川二区の出荷量は例年並みではないか」と語った。
                                 

 

観光客ら7000人来館

地下ダム資料館
総合学習、自然教育の拠点にも


職員の説明を聞く入館者ら


宮古島市地下ダム資料館

 地下ダムを観光に活用し地域の活性化を図りながら地下ダムの水を利用した先進的農業の啓発を目的に建設された宮古島市地下ダム資料館。二〇〇五年十月から昨年十二月までの間に約七千人が来館している。最近では学童の総合学習の一環として、環境問題や自然教育の拠点となりつつある。多いのは一般の訪問者。観光客のほか、農業や企業関係者が宮古島の農業や環境を知るために資料館を訪れるケースが多いという。

 開館から現在までの来館者数は▽一般利用者数二千八百一人▽学生百四人▽児童生徒二百五十四人。団体の部では▽一般千九百六人▽学生四百七十三人▽生徒三百四十七人−となっている。
 今月十九日には長野県からビニールハウス施設組合のメンバー十三人が資料館を視察した。同館入り口正面に設置される地下ダムの模型や職員の説明に興味津々の様子だった。
 長野県飯田市でキュウリ栽培を行っている大平寿一さん(69)は「飯田市川から水を引いて農業用水に使用しているが、宮古島は地下水を使用しており、驚いた」と感想を話した。飯田市の農協職員の船田智さん(46)は「水や自然をもう一度見直すきっかけとなった」と語った。
 資料館の展示内展は▽地下ダムの模型▽宮古の水と自然▽宮古の農業▽大型地下ダム建設技術▽水の成分▽宮古島のエコエネルギー開発▽石灰岩の謎▽石灰岩と化石▽地層に触れる−など。
 「宮古の農業」のエリアにはかんがい用水で栽培されるようになった亜熱帯作物を展示し、地下ダム完成前と後の農業の変化や可能性を展望。世界規模の地下ダム完成までの過程や宮古の生活、観光などの映像を上映するコーナーもある。
 

フクギの植樹が決定
県道78号線加治道沿線
住民の意向を尊重
 


加治道集落沿いの県道78号線

 平良城辺線道路植栽工事に伴い、第二比嘉橋から宮古島市城辺陸上競技場付近まで千百八十bの区間にある植栽升にフクギ約百七十本を植樹することが、このほど決まった。工事完了予定は今年二月。もともと、この区間にはセンダンを植樹する予定だったが、「風に強く、落ち葉が少ない木がよい」という住民の声を反映させ、フクギを植樹することになった。
 県宮古支庁土木建築課によると工事請負業者の拓南開発が、住民が植栽樹変更を強く要望していたことを知りアンケートを企画。昨年十一月には加治道集落住民に対し道路植栽に関する住民アンケート実施した。落ち葉が少なく、害虫や風にも強いフクギが多数を占め、決定した。
 センダンは落ち葉が多く清掃等が大変だったという。また風に弱く、台風時に折れた枝等が家屋に飛んでくる恐れがあった。
 下地嵩区長は「現在植えられているセンダンはすでに枯れているし、落ち葉も多い。『風にも強いフクギの方がよいのでは』という集落住民の声が多かった」と話している。
 



目指せスウィングガールズ

福嶺中音楽部
 


(左から)長浜教諭、池間さん、高江洲さん、吉田さん=福嶺中学校
 

 昨年九月に創部したばかりの宮古島市福嶺中学校音楽部。部員の三人は演奏に関しては初心者だが、「福嶺中学校のスウィングガールズになりたい」と情熱を持って日々練習に取り組む。いつかバンドを組み、運動会やコンテストで演奏することが夢だ。
 サックスを担当している池間葵さん(二年)は映画「スウィングガールズ」を見てあこがれ、入部を決めた。「卒業するまでに一曲は覚えたい」と張り切っている。
 「面白そうだったから入部した」と話すのは吉田優香さん(一年)。トロンボーンを担当している。自分の背丈に近い楽器を持ち「音程を合わせるのが難しいです」と笑顔を浮かべる。
 高江洲美里さん(一年)はこのほど入部したばかり。フルートを習いたかったが同校に無かったため、現在はドラムでリズム感覚を養っている。
 顧問を務める長浜靖教諭はトランペットの名手。音楽学校を卒業して以来、宮古の各学校で教壇に立ってきた。「生徒たちには音楽を通して自分を表現してもらいたい」と期待を寄せている。
 



初めての北国

宮古島市立西城小学校6年 宮国美咲央

 交流会出発日の前夜、初めての雪、北国、友達との約半年ぶりの再会に胸がドキドキし、寝つけませんでした。
 出発日当日は、宮古を一便でたち、東京まで飛行機で、電車・新幹線と乗りつぎ、気付けば長野で体・口がガタガタとふるえ、肌もカサカサになり、「なぜここまで寒いのか!?」と思い、とてもびっくりしましたが、それと同時に「これからもっと寒い新潟に行って過ごすんだ。覚悟しなきゃっ」と気をひきしめました。駅から駅へガタゴトとゆれながら、やっと目的地の新潟・板倉に着きました。道路に張っている氷を見たとき、「これから四日間、寒さにたえられるかなあ?」と不安が心の色を少しずつ変えていきました。
 二日目、午前中は板倉区の各学校をバスでまわり、ゑしんの里や中村十作記念館などにも行きました。どこに行っても、辺り一面の銀世界の風景や、二重になった玄関、庭先に置いてある石油タンクなど、北国ならではの暮らしの工夫が宮古と全くちがうのでびっくりしました。また、昔の交通などもあまり発達していない時代に、中村十作さんは何千`もはなれている宮古に来島し、たくさんの人頭税で苦しんでいる人達を救い、活やくしたことを中村十作記念館では学びました。昼食は初めての日本そばを食べ、沖縄県内のそばとのちがいを感じました。食後は、地元の人もあまり乗ったことのないという、除雪車に乗せてもらいました。とても高くて、あと特別な免許が必要ということにもびっくりしました。私のホームステイ先の朋美さんの同級生のみどりさんと城辺小の子とスキーの練習をし、家に戻り近所の雪の積もっている所でも一緒に、雪だるま・かまくら作り、そりに乗ってすベったり、寒さを忘れるくらいたくさん遊びました。宮古ではできない貴重な体験をたくさんした一日でした。
 三日目、いよいよ待ちに待ったスキーです。最初は全然できなくて、つまんないし楽しくないと思っていたけど、だんだんすベれるようになり心の天気が一気に晴れました。リフトは四回ぐらい乗りましたが、高所恐怖症の私にとっては、ハラハラドキドキで怖かったです。最後には同じ学校の友達とすベり、私自身も一人ですベる事ができました。寒いのはいやだけど、もう一回みんなでスキーに行きたいです。スキーの帰りは、物産センターで買い物をしました。荷造りがおみやげのせいでたいへんでした。
 四日目、宮古からたくさん乗り物を乗り継いで新潟に着いたと思い過ごしているうちに、帰る日をむかえてしまいました。ホームステイ先の家族とは、駅のホームでお別れをしました。夏に会ったときは、「また冬に会える」と思い別れのときもあまりさびしさは感じませんでした。でもホームでの別れのとき、「もう会いに行かない限り会えないんだなあ」と思い、胸がせつない気持ちでいっぱいでした。
 でもこれからも、文通をしたり、特産品を贈ってあげたり、時々は電話もかけて、ずっと交流するつもりです。
 長いような短いような四日間、北と南の異文化のちがい、暮らしの工夫を感じる事ができました。とくに私は、ホームステイ先が山の方だったので、木々達の雪化粧に感動しました。これからも城辺地区と板倉区との交流が続き、後輩達にも北と南のちがいを感じてほしいです。おどろきや恐怖などの多かった旅で、小学校生活最後の学期にまた思い出のアルバムのページが増えました。
 交流事業に参加させて下さった城辺分室の久貝さん、狩俣さん。学校の先生方、お父さんお母さんに感謝します。

 
      
  
※このページは川越陽一が担当しました。


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