ぺん遊ぺん楽

 
むかしお産事情

さどやませいこ

<2003年
 11/18掲載>
  女の出産は一個の命を世に送り込む大偉業。ところが昔は女性の月経も含め不浄のものとした観念が根強く、いわゆる「血不浄」「ケガレ」とされてきた。ヤマトゥでは生理中の女性が神社の祭りに参加できないという事例や、生理中の女性がこもる月経小屋の存在など、祭りや霊場など特定の場から排除する女人禁制の記録が多く残されている。一方で沖縄諸島の伝統的祭祀で祭りを司るのはツカサと呼ばれる女性たち、そこでは「男子禁制」の傾向が多い。
 もう七、八年も前のこと、島にカナダのシャーマンがやってきた。なんと初老の男性だった。市内パイナガマの浜辺で参加者全員が円陣を組み、お祈りが始まろうとしたその時、「生理中の女性は席を外してください」と言う。私はとても侮辱された気になったが真意は違っていた。このシャーマンは「生理中の女性はとても神に近く私の霊感が鈍るため遠慮して欲しい」という意味だったのだ。カナダのある地域では月経が始まった女性は「月の館」という籠もり小屋に入り、終わるまでそこでのんびり過ごすということだった。
 十年が一昔なら私が生まれた五十年前は大昔。当時は敗戦国でアメリカの統治下にあり衣食住にも困難を極めていた。ただその日を食いつなぐのに必死だった。そんな中で避妊の知識も無く子供は次から次と生まれた。五、六人はざらで、七、八人という姉弟も珍しくなかった。今の少子化の時代では考えられない状況があった。それでも親たちは「ウナガーフツウバームチードゥンマリキス」(自分の食い扶持は持って生まれる)と言い、貧しさなど少しも気にしなかった。
 お産は今のように産婦人科の病院があるわけでなく姑や隣の取り上げ婆さんが介助して家のウツバラ(裏座)で産み落としていた。母から当時の様子を聞き、ただただ時代の変化を認識しないわけにはいかなかった。農家に嫁ぎ四人の子を産んだ母は、生まれるその日まで農作業に従事した。稲の草取りをするのに、せり出したお腹を抱えながらカイラカイラと動く様はカーフナタ(蛙)のようだったと笑ったが、今では想像できない。逆に運動不足によって出産予定日が遅れていると大騒ぎする時代だ。
 オムツにしても、今は便利なパンパースがあるが、当時は手作りのおしめだった。二十数年前まで、おめでたと聞かされたらまずオムツの心配から始まり、生まれるまでにサラシや絣で二十枚から三十枚を準備したものだった。母の時代はもっと大変だった。なにしろ着物も不自由する中、軍の払い下げジャケツで下着も縫っていた時代、古着を継ぎ接ぎしてようやく二十枚を揃えたという。それ以前、おしめも無い頃は祖母の着物を三角に折りそれでくるんでいたと聞かされた。
 出産をシラというが、昔はお産の忌みをシラ不浄といい、沖縄でも地域によってはシラヤー(産屋)で子を産む習わしがあったようだ。谷川健一の「わたしの民俗学」では「人間の出産を動物の産卵と見立て産屋を巣として考えるならば、南島で言うスデル(脱皮)という意味から産屋は人間が再生するための巣に他ならない」と記している。
 昔は子供が誕生するとマスムイ(来間島)とか言って一歳までに一門に紹介する儀式があり、また神に守られ元気に育って欲しいとの願いからカンノナー(神の名)やマウナー(守護神の名)も授けられた。貧しい中にも人の誕生を地域を挙げて喜んだものだ。
 (宮古ペンクラブ会員・かたりべ出版主宰) top.gif (811 バイト)