ぺん遊ぺん楽



ヤマトゥブリムヌが走る

市原 千佳子(いちはら ちかこ)


<2006年10/27掲載>

 私は週に四、五回ジョギングしている。かれこれ一年半くらいは続いているだろうか。
 走り始めの頃、島(池間島)の人々の私への反応は楽しかった。
「アガイ」
と、口を開けたまま驚かれたり。
「ヤグミ ビィトゥ」
と、妙に女鉄人だと思われたり。
「暑イカラ アマリ 走ランデオキナサイ」
と、心配していただいたり。
「ナンデ アンタハ キョンシーミタイニ 走ッテイルカ」
とまあ。なるべく人目につかないようなコース(島一周道路。ほとんど畑の中)を選んでいるのに、どこで見られているのやら。息も絶えだえにヒイヒイ走っているのだから、手首から先が枯れた花茎のようにくたんと折れてしまう。それでキョンシーを連想されたのだろう。
 極めつけは「ヤマトゥブリムヌ」である。
 先日、島の主婦たちが切り盛りしている〈なかじゃ〉で同窓の女五人が集まった。私にとっては、お久しぶりというより、初めましてであった。八歳そこそこで転校して以来だもの。顔も名前も全く記憶になかった。けれども、たった一つの接点で同席しているというだけで、いつのまにか旧知の間柄のようになっていく。縁というものは、なんとも不思議な潤滑油であることか。
 さて、大分遠慮も無くなった頃、池間インディアンがいたら女酋長でもしたいおもむきのある一人が、タバコを吹かしながら、おもむろに口を開いた。
「ヤマトゥブリムヌが走っているかと思っていた」
やっぱりそうきたか。笑ってしまった。
 これまでの見聞によれば、昔からここ沖縄一帯はその土地になじみのない言動をするよそ者に、「ヤマトゥブリムヌ」と揶揄する慣習があった。さもありなん。このような一年中夏のような亜熱帯に住んでいて、毎日のように走るなどという発想は、なじみがないというレベルを超えて馬鹿げているのだ。私はよっぽどの変人に違いないと、奇異の目で見られていたのだろう。
「カヌ ミドゥンニャ タルガ」
「ッサン」
「ヤマトゥブリムヌヨー」
「マーンティ」
そんな巷の会話が聞こえてくるようだ。
 しかしながら、当の本人は、まったく違う心境のなかで走っていた。〈もし、よからぬ輩に襲われたらどうしよう。もし、サトウキビ畑や車のなかへ引きずり込まれたらどうしよう〉ビクビクなのだ。何せ、コースの半分以上が人気のない原野で、所々に車が止められている。レンタカーも頻繁に通る。池間島は人気スポットらしい。しかし、ここからは人家は遠い。大声で助けを求めても、誰の耳にも届くことはないだろう。そう思うと恐怖心の塊になり、茂みからの枝や風の音にもビクッとする始末だ。車が視野に入ると、携帯電話を握りしめた。眼や耳や想像力が異常にはたらいた。そして、イザという時のために、かの輩を諭すべく、気が利いた台詞はないものかと、考えてばかりいた。
「こんな美しい島で、美しくないことは似合わないよ」
「こんなことは恋愛してからにしようよ」
「旅の悪事は人間の恥だよ」
等々、練習しながら走った。しかし、〈もし〉は訪れず、それらの台詞は一度も使われることはなかった。
 そうして、ある日、私は自分の身の程知らずに気が付いたのである。私は大まじめに自分に完全安全を言い渡した。髪の毛振り乱し、息はスースーハーハー、汗だらだら、手首はキョンシー、そんな五十おばさんのどこに、世の男を迷わせるあやしい雰囲気があるというのか! 全くもって笑止の沙汰である。正札はもう愚か、〈閉店半額セール〉なんて、のぼり旗で飾り立てても、客の入りはあるやなしや。
 恥ずかしくもあり、可笑しくもある。身の程知らず故の被害妄想が生んだ一人相撲劇は、こうして終演した。自分への戒めに、このコースを被害妄想コースと名付け、時々思い返しては、コツンと頭を小突いている。少しさびしい音だ。
 されども、こりずにやはり今も「ヤマトゥブリムヌ」は走っている。しかも以前よりも堂々と。コースも一キロメートルほどバージョン・アップしての往復七キロメートルの新コースだ。名付けて、池間大橋龍神コース。
 なぜ龍神かというと、池間大橋のその雄姿たるや、龍神以外には考えられないからだ。今日も私は龍の背中にまたがって、龍を御するごとく(あら、また身の程知らずの妄想?)走っているのである。
 「こんにちは」と言うと、「こんにちは」「ごくろうさん」「がんばって」と返してくれる。みんな善人だ。ほんとうにいい島だ。私は手のひらを返したように思う。クスッ。自分の単純さを見透かされた気がして後ろを振り返った。
 まあ、宮古富士(大神島をかってにそう名付けている)が、その美しい上唇をキュッと閉じ、笑いをこらえているではないか。遠慮することないよ。笑ってくれ。存分に。
 (宮古ペンクラブ会員・詩人)
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