ぺん遊ぺん楽


「へその緒」

 高橋 尚子(たかはし なおこ)


<2006年03/15掲載>
 就職して一人暮らしをしている娘が帰ってきたとき、子どもの頃の思い出話になった。私は大切にしまってある育児日記や、娘と息子が口にした言葉を書き留めたノートを出して見せた。ノートは十冊以上もあり、まるで詩集のようで、私も時々ひっぱりだしては見ていた。娘にとっては、自分の知らない自分を見る思いなのだろう。次第に言葉が減り、真剣な表情でノートのページをめくっている。
 そういえば、と娘と息子の「へその緒」を取ってあることを思い出し、それも出して見せた。小さな桐の箱に仕舞ってあるへその緒は、糸が付いたまま干乾びていて、言われなければ何なのか分からない。初めて見る自分のへその緒を怪訝な顔をしてひっくり返したり、かざしたりしている娘を見ていると、彼女が私のお腹にいたということさえ不思議に思えてくる。
 娘を出産した時、私はちょうど今の娘と同じ年だった。未熟で若い私に、人を生み、人を育てることができるのだろうかと不安でいっぱいだった。「案ずるより産むが易し」と励ます義父母の言葉を、心の中でおまじないのように唱えながら分娩室に入ったことを思い出す。
 生まれてきたのは女の子だった。娘の産声を聞きながら、安堵と嬉しさで、どうしようもない感情の高ぶりは、押さえきれず涙となって流れてきた。この子と一緒に成長していこう。育っていこうと、自分自身と生まれたばかりの娘に誓わずにはいられなかった。
 退院してからは、昼も夜も育児に奮闘していた。壊れものを扱うようでいて、私の手つきの方が危なっかしい。万事がそうなので、沐浴中にへその緒が取れたときは吃驚した。
 何もかもが初めての子育てで、頼りない母であったが、目の前には逞しく成長した娘がいる。
 娘出産から六年後、息子が生まれた。私は産後の発熱が続き、治療している間に息子のへその緒はとれた。助産婦さんから、息子のへその緒が入った小さな桐の箱をもらい、退院して娘のものと一緒にしまった。
 娘も息子も命に繋がる全てを、へその緒から注がれて私の胎内で育った。自分より大切な子どもが二人に増え、私と子どもたちを結んだへその緒も二つになった。
 一月のある日、へその緒が付いたままの新生児が、公園に棄てられていたとのニュースが流れた。胎の中に一年近くも宿る我が子を、生んですぐに棄てられるものだろうか。へその緒について、最近娘と話題にしただけに複雑な心境であった。
 寝る前、娘と息子の「へその緒」を出して見た。私が二人の母である証のようにも見えた。
 太古の昔から変わることなく、全ての人は母から生まれてきた。そして、それを成せるのは女性だけである。人間が未来に向ってどんなに進歩しようとも、それは変わることのない命の育みであろう。
 私のへその緒は私の母に繋がり、子どもたちのへその緒は私へと繋がった。生まれたばかりの娘や息子を腕に抱いたときの重み、感触までもが生々しく蘇る。
 へその緒を見つめながら、子どもたちと過ごしてきたこれまでの時間、これから重なるであろう時間を描きながら、子どもたちが生まれてきたことに感謝した。子どもたちの母にしてもらえたことには更に感謝した。

(宮古ペンクラブ会員・看護師)



                          
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