ぺん遊ぺん楽
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<2006年02/04掲載> |
還暦を過ぎると人生劇場の幕引きのことが気になるのでしょうか。新しい年が近づいて来るとふとこれまでの人生の清算表を作ってみたりします。 人生の清算表は幸福という名の勘定科目をもとに作られますが、商売用のと違って多ければいいというものではないのが難しいところです。たとえばこの勘定科目の一つに「金持ち」というのがありますが最近のライブドア騒動を見るにつけてもその感を深くします。私は早稲田に入った時最初は商学部でした。それで公認会計士にでもなってウプゥ(大)儲けしようと張り切っていたとき聖書を開いたら「富んでいる者が神の国に入るのは駱駝が針の穴を潜るほうがもっと易しい」(ルカによる福音書第十八章二十五節)ということばが出ています。これは大変と法学部に入り直しお陰で八年間も大学に通う羽目になりました。卒業して法務省に入りました。エスカレーターに乗っていれば最上階まで行ける国家公務員上級試験という特上の切符でした。喜んでいたらまた、「あなた方の間で頭になりたいと思う者は僕となりなさい」(マタイによる福音書第二十章二十六節)という声が聞こえてきます。煩いなあと思いながら出世梯子を降りてしまいました。こんな清算表で過ごしてきたものですから定年となり人生劇場第一幕が下りた時の残高は古い瓦葺の家と手作りの小さなオカリナだけになっていました。 この正月、その清算表を眺めながら雑煮をつついていたら昔保護観察官かけ出しの頃一緒に暮らしたことのある女性が東京からひょっこり訪ねてきました。あの頃彼女は高校生でした。ヤクザに騙されて覚せい剤を覚えた彼女を取り返そうとアパートの下で一週間張り込んだが逃げられてしまいました。ある晩遅くにドアを叩く音がします。雨の中ずぶぬれになった彼女が裸足で立っています。隙を見て逃げて来たという彼女と一カ月間一緒に暮らしました。これを機に彼女は立ち直って行きましたがあの時、家内がすぐに風呂を沸かし背中を流して体を温めてくれたのが嬉しかったと話していました。庭に降りてオカリナで彼女の好きな「埴生の宿」を吹いてあげました。谷間から吹き上げて来る風が優しく頬を撫ぜて行きます。その風に混ざってニューヨークのリハビリセンターの壁に、ある患者が記した祈りという詩が聞こえてきます。 大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に祈ったのに 謙遜を学ぶようにと弱さを授かった 偉大なことができるようにと健康を求めたのに より良きことをするようにと病を授かった 幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと貧しさを授かった 世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに 得意にならないようにと失敗を授かった 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いは全て聞き届けられた 神の意にそわぬ者であるにもかかわらず 心の中に言い表せない祈りは 全てかなえられた 私はもっとも豊かに祝福されたのだ (宮古ペンクラブ会員・琉球大学非常勤講師) |