ぺん遊ぺん楽

 
オバーのスピリッツ(魂)


玉元 江美子
(たまもと えみこ)


<2006年01/25掲載>
 恐ろしい事件を伝える昨今のニュース。
 下校途中の女の子が何の理由もなく一瞬の内に大人に殺害され、塾の先生が、刃物を準備して、勉強に来た小学生をいとも簡単に教室内で刺し殺す、妻が夫に保険をかけ車ごと海中に突っ込んで死なせる、子どもが親を焼き殺す…等など。犬畜生にも劣る卑劣な行為(犬に失礼)を繰り広げる人間ども。
 これでいいのか人間。「ダイズな世ぬ中」である。
 おばーが生きていたらきっと言ったに違いない。
 「ウイターヤ、ニンギンノスウイヤアラン」(彼らは人間の仲間(添え)ではない!)
 殺傷事件が起こる度に、30年前に他界したおばー(享年76歳)の口癖を思い出す。
 私は下地町で生まれ育った。農業を生業とする我が家は祖母、両親、兄妹、叔父、使用人を含め常時10余名の大家族。「働かざる者食うべからず」とは父の号令。母は5名の子を産んだが、子どもにかまっている暇などなくスティジャン(放任)して朝から晩まで農作業に明け暮れ馬車馬のように働いた。そんな母親(嫁)を見かねてオバーは家事や子育てまでも自分の責任のように受け止め健気に「ワイ」と頑張っていた。祖母と母はとても仲がよくて「アンナー」「ウプミー」と呼び合っていた。私は物心つくまで祖母と母は実の親子だと信じていた。
 私たちは母と同じくらいオバーが大好きだった。オバーも孫を心底かわいがった。
 「マイフカ アタラス フファガマ」(愛とし子よ)と頭を撫でて毎日抱きしめてくれた。オバーが側にいるだけでハッピー ハッピー。寝るのもオバーと一緒。幼い兄妹は大木に蝉がしがみつくようにオバーにくっついて寝たいから夜な夜なオバー争奪合戦を繰り広げた。両親がいるように、どこの家にもオバーがいるべきと思っていたので、オバーのいない子はかわいそうで不憫に思えた。何しろオバーは家族の宝だったから。
 限りなく優しいオバーだったが、私たちが悪いことをすると鬼に変身する山姥だった。
そんな時の決まり文句「ウワガシャクー ニンギンンナ ナラン!」(お前は人間にはなれん!それでも人間か!)
 特に兄妹の中でも不良だった私は群をぬいてオバーに言われた。嘘をつくと「嘘つきは泥ボーの始まり」と叱られ、人の畑から集団で西瓜を盗って食べては、「ウプヤマグ!(大泥棒)と謝りに行かされ、親を寝かした後で夜遊びに行くと必ずばれ(オバーの密告による)「アッピブリ フファガマ」(遊び狂い子供)と鬼よりも恐い父親を登場させ私を震えさせた。また、ある時は、親や目上の人への乱暴な言葉使いや態度がなってないと叱った。目上の方への返事は「はい」か「うー」で「んー」と言い間違うと即座に言い直しされた。父母もオバーには「うー」と丁寧語で応えていた。私が当時流行したミニスカートを着て浮かれていると「アガイタンディ ズロース(パンツ)をみせて、ミーチャギサヌ」と老婆が恥ずかしがり、散らかった部屋を見ては「ユグリハイカラー」と急所をついた。「女は整理整頓とスナカギサ(気だてのよさ)が一番だよ」と諭した。
 オバーは私から目を離さなかった。お陰で不良に憧れていたのになり損ねた。大学生になっても信用されず「赤旗を振らずに ピャーピャーヤーンカイ来ウ(早く帰宅せよ)」と学生運動に暴走する私を牽制。オバーの監視は結婚して母親になってもなお続いた。
 人道に適わぬ行為を「ニンギンヌ スウイヤアラン(人間の添え(仲間)にあらず!)」と断罪する祖母の強い教え(哲学)のお陰で、私はどうにか人並みの人間になれた気がする。
 人に恥じない生き方で、人の道を真っ当に歩めと、愚直なまでに善悪を諭し、人間育てへのぶれない厳しさとやさしさを示した祖母。「ヤーナリドウ プカナリ」子育ての責任は親・家庭だ。「真人間になれ」と耳にたこができるほど聞かされた。昔の親や祖母には威厳があった。
 数々放ったオバーの定番台詞。今、過去をたぐり寄せながらエッセーをまとめている。
 「人間の添え」でなければ「豚の添えか?」と悪態をついてオバーをからかいながら共に育った家族、兄妹。祖母が他界してもう30年が過ぎ5名の兄妹も今ではオジーオバーと呼ばれる年齢に達した。
 我が最愛のオバー「洲鎌メガンサ」が生きていたら、今の私をみてなんと言うのだろう。
 「ニンギンヌ スウイ」(人間の仲間)と認めて貰えるだろうか。
 子や孫を溺愛しても、本気で叱り、真剣に子育てをするオバーに もしも、私がなれたなら、きっとそれは、メガンサおばーから貰ったDNAのせいに違いない。
 私は思う。
 家庭教育の大切さは言うに及ばず。学校現場でもメガンサ方式の教育はきっと有効に違いあるまい。そして、校長も教員も権威を衣とせず、「オバースピリッツ」を身につけ、子ども達の明日を創る責任ある仕事に徹したならば、心の凍る犯罪に手を染める人非人など育つ余地はない。私はそう信じたい。
 正直な養護の子供たちが、私の皺をみて「校長先生オバー」と言っても、にっこり笑って抱きしめてあげようっと。
 
(宮古ペンクラブ会員・沖縄県立宮古養護学校長)


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