ぺん遊ぺん楽


小さな世界観

松谷 初美
(まつたに はつみ)


<2006年01/18掲載>
 今から7年ほどまえ、オーストラリアの大学生が一年間我が家にホームステイをしていたことがある。翌年その子をたずねてオーストラリアに息子と行った。
 彼女の家は、シドニーから飛行機に乗って、アデレードという街に行き、そこからさらに車で1時間あまりのカパンダという小さな町にあった。お父さんは牧場を営み、牧草を輸出するのが仕事だそうだ。大きなトラクターに息子を乗せてくれたり、犬が羊の群れを追いかける様子などを見せてくれた。お母さんは、お父さんの仕事を手伝いながら、家事をこなしていた。趣味がパッチワークで、ベッドカバーやテーブルクロスなど、広い家のあちらこちらにお母さんの作品が使われていた。食事は、夜は焼いた牛肉にパンとサラダにワイン。朝は、シリアルに牛乳をかけたものと果物だった。いちごやバナナ、グアバにグレープフルーツと、四季の果物のそろいぶみには、びっくりしたが、オーストラリアは、北と南で気温がだいぶ違うらしく、いつでも、いろいろな果物があるようなことを話していた。
 彼女の通った学校や、教会などを見て回り、ワイン畑を抜けて、カパンダが見下ろせる丘に登った。そこで思ったことは、宮古もカパンダも ゆぬぐー(同じ)だということだった。その土地で、その小さな世界で生き生きと暮らす人々がいる。当たり前のことだけれど、私にとっては、すごく衝撃だった。それは、世界地図には載らない、小さな点であっても世界の点と繋がるという感覚でもあった。たぶん宮古の人でカパンダを知っている人は、ほとんどいないと思う。また、逆にカパンダの人も宮古のことは、その存在すら知る人はたぶんいないだろう。でも、そこに人々は暮らし、生活している。
 彼女も、日本にいる間に宮古にも一緒に来た。日本といっても、地域によって違うというのを感じたようであった。日本語が達者な彼女は、まったく理解できない方言にもびっくりしていた。母ちゃんやおばぁとんーむつ(芋餅)を作ったり、この海は、オーストラリアと繋がっているのかなーと話しながら、砂山で泳いだりした。パイナガマで、宮古の人たちとバーベキューをしたことも忘れられない思い出になったようだ。
 私は、小さな世界観というのが大好きだ。そこにだけ通じる言葉や常識。文化、暮らし。日本から遠く離れたカパンダには、カパンダの生活があり、宮古では宮古の世界観で暮らす人々がいる。世界は、たくさんのその小さな塊でできていると思う。小さな世界の重さを知ると、人ひとりの重さが分かる気がする。自分の足元のその小さな世界を大切にすることが、世界を思うことにも繋がるのかもしれない。
 オーストラリアへの旅は、思いがけず宮古を感じるものとなった。

(宮古ペンクラブ会員・みゃーくふつメールマガジン主宰)


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