ぺん遊ぺん楽


宮沢賢治の世界

仲地 清成
(なかち・きよしげ)


<2006年01/14掲載>
 「宮沢賢治大好き」と言いたいところだが、それはせん越というものである。彼の描く世界を読み解いて、その全体像を把握することはとても出来ることではないが、一編の詩を理解するにも彼の生活と特異な思想を知ることは重要だと思える。
 子供の頃の彼は自然の子だった。「風とゆききし、雲からエネルギーを取る」のが日常の生活になっていたという。また、裕福な家庭生活を過ごす少年の彼は、冷害や干ばつに苦しむ農民とのギャップに苦悩している。さらには、浄土真宗、後に帰依する法華経による倫理感が加わって彼の原体験がかたちづくられる。
 加えて、猛烈な知的好奇心が教養体験を広げていく。彼は「肥料設計」につながる化学の本はもとより、丘浅次郎の『進化論講話』やヘッケルの『生命の不可思議』も読んでいる。ヘッケルは「個体発生は系統発生をくり返す」ことを唱えた人である。一人の人間の生は人類の全発生史を凝縮している、というものである。さらに、アインシュタインの相対性理論の影響も明らかである。私たちに感じられる世界は、三次元の空間に時間が一様に流れている。しかし、厳密には時間は空間の関数である。具体的には、観測者に対して動いているところでは時間の歩みが遅くなる。従って絶対的空間も絶対的時間も存在しない。あるのは空間の三次元と時間の一次元からなる四次元時空である。「感じられないが存在する」、この四次元時空のイメージをヒントに彼の空想や幻想が広がり、深化したと考えられる。
 『銀河鉄道の夜』では、ケンタウル祭の夜、貧しいジョバンニは水死したはずの友人カムバネルラとともに銀河鉄道に乗り込む。鉄道の旅は北十字(白鳥座)を起点に南十字星辺りで終わる。(数年前、南十字星が見られるということで、来間島の南海岸に多くのファンが駆けつけたことがある)。旅の途中、かんむり座と思われる泉から綺麗な水がころころと天の川(銀河)へ流れている。さそり座の尻尾と考えられる双子の童子は天体の運行に和して笛を吹き続けている。幻想の宇宙空間には「ほんとの幸い」を探すエピソードが次々に繰りひろげられる。終点の付近で、ジョバンニは、天上へでも何処へでも行ける切符を手にしている。その切符で何処へ行くのか、その選択は感動的で、賢治の思想の到達点を示している。
 『グスコーブドリの伝記』では、イーハトヴの人々の幸福のために、自ら仕掛けた装置によって火山の人工爆発をさせ、自らも宇宙の微塵と化す。ちなみに現代天文学によると、星はある大きさになると爆発して宇宙に散らばる。超新星爆発と呼ばれるものである。しかし、宇宙塵はやがて凝集して「星」と輝く。
 哲学者の谷川徹三氏は賢治の詩碑を建立するに当たって、賢治の言葉から選んでいる「まずもろともに輝く宇宙の微塵となりて無方の空に散らばろう」。
 以上、まとめてみると、例えば詩集「春と修羅」の次の序詩が少しは身近に感じられる「わたしという現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」。ひそかにつぶやいてみたい「宮沢賢治大好き」。

  (宮古ペンクラブ会員)

                   <<<ペン遊〜ページにもどる