ぺん遊ぺん楽


中 心

長堂 芳子
(ながどう よしこ)


<2005年12/24掲載>
 「この岬を境に、海に向かって右が東シナ海、左が太平洋」。
 宮古に友人が遊びに来ると、東平安名岬を案内する度に私はいつもこう説明していた。空と海をくっきりと分ける水平線。疑いようもなく、地球は本当に丸いんだと実感させてくれる大パノラマ。この東平安名岬と池間島を結んだ延長線が、二つの海の境界線だと信じ込んでいた。だから意識の中で、宮古より北東に位置する沖縄本島は、周りは全部太平洋のはずだった。
 三年前、息子が地域の小学校に上がったことで、私は初めて学校PTAと関わることになった。丁度、学校は創立四十周年という節目の年で、すでに「はぐくみの像復元」という記念事業が予定されていた。「はぐくみの像」とは、三十三年前に当時本校で美術の指導をなさっていた、故川平恵二先生(後に本校五代目校長)が制作された親子像(女教師と生徒とも受け取れる)だ。セメントで制作されたものだから、すでに一部分セメントの脱落や鉄筋の腐食が進み、像は見る影もなくぼろぼろの状態になっていた。以前は、校門を入るとすぐ目に付くところに建っていて、学校のシンボルだったという。それがいつの間にか、校舎の建て替え工事で片隅に移動させられたままになっており、今やその存在さえ忘れ去られようとしていた。
 この像をブロンズで復元することが四十周年の大きな目玉事業として進められ、私には記念式典で子どもたちが全学年で群読する文章を書いてほしいという依頼がきた。出身校でもないし「はぐくみの像」に対する思い入れも何もないので、最初は固辞した。が、実行委員の方が熱心にこれまでの経緯を説明に足を運んでくださったり、思い入れは携わることで今からでも生まれるものだという、その熱意にほだされて引き受けることにした。
 「像は東シナ海が見えるところに建ててほしい」。それが川平先生の最後の願いであり、長年の私の思いこみを覆した言葉だった。我が家からも夕日の沈むのが見えるあの海は東シナ海だったわけ? そうか! 沖縄本島の人にとっては、沖縄本島を中心に東シナ海と太平洋は分かれているんだ。みんな自分たちが中心だと思っているんだ。
 私は地図を引っ張り出した。地図には琉球弧の内側が東シナ海、外側が太平洋としか書かれていない。明確な境界線は描かれていないが、宮古の東平安名岬を中心に境界線を描くにはちょっと無理をしなくてはならない。宮古中心説が揺らぐ。でも地図を閉じた瞬間から、やっぱり私の中の意識は宮古中心説に後戻りする。そう思える内は私はまだ宮古人だと胸を張っていいんだ、と言える気もする。
 宮古は市町村合併で宮古島市になったが、さて宮古島市の中心はどこだろうか。中心はただ一点で固定した方が安定するものだろうか。よくは分からないが、各地域に関わる問題は、大きな軌道から外れない程度に、中心も少しばかり移動して もいいのかもしれない。

  (宮古ペンクラブ会員・歯科医師)

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