ぺん遊ぺん楽


寄り添う


国仲 洋子(くになか ようこ)


<2005年11/23掲載>

寄り添う/国仲 洋子
 看護師という仕事がら人さまの生死に立ち会う機会が多く、心身を病む方々とご家族の苦しみや悲しみに直面することがしばしばある。
 重い心臓病や癌末期の人の寂しげな呟き。病や発作による疼痛(とうつう)を我慢するうめき。病院という場所は、人生との戦いに羽を休める人々が人知れず集うところでもある。いよいよ最後を迎えるという時、予測のつかない急な場合だったり、死期が分っていたり様々なケースがあり、私たち医療者は否応なく一人の人間の死に様に立ち会う。亡き骸に取りすがって泣き叫ぶ家族に囲まれる人もいれば、身寄りへの連絡もとれず悲しんでくれる人もなくたった一人で死にいく気の毒な人もいる。様々なことが起きる臨床の中に身をおいて仕事をこなすとき、表向きは礼を尽くしながら多忙な業務をどうこなすかを常に計算しつつ動く。多忙を極める現実の前に生身の人間の感情を置き去りにし、淡々と冷酷に処理する自分がいた。
 思えば身体や心を病み、苦しみと悲しみの底にいる方々の助けにならなければいけないはずの立場にありながら、悲嘆にくれる人々に寄り添うとはどういうことなのかを殆ど分かっていなかった。毎日が戦場のような病院の現場ではゆっくりとまわりを見渡す余裕さえ持てない。死に直面する本人や家族の動揺と悲しみに、少しも寄り添ってはいなかったのだ。
 しかし12年前のある夜、三番目の兄がくも膜下出血で突然逝ってしまってからは、自分の中で何かが静かに変わっていった。
 兄が倒れた深夜、私は手術室で仕事中だった。就寝前に意識を失い近くの救急病院へ運ばれたという連絡を受け、急いでかけつけたがすでに遅かった。救急室で冷たくなっていた遺体を見た時のショック。寡黙で仕事人間で、子供たちと妻を深く愛していた兄の変わり果てた姿に涙があふれてとまらなかった。そしてまた、どれほど泣いても癒えない悲しみがある事をも初めて知った。医療を受ける側の立場に立ってみて、患者や家族の辛さや苦しみを思い知った気がする。
 身内を失う辛さを経験してから、最後の時を迎える人々や家族への対応は、スピーディーに業務を進めることよりももっと大切なことを優先しなくては…と痛切に感じるようになった。肩を震わせ廊下にたたずむ家族の背中にそっと声をかけたり、息を引き取るとき身内だけの時間を多くするよう気を配る。十分な満足は得られないかもしれないが、出来るかぎりの心配りをするよう心掛けたいと思う。動揺する家族の姿に自分の姿をだぶらせ思わず胸がつまってしまうこともある。遅きに失した感もなきにしもあらずだが、いつの間にかそっと悲しみに寄り添い共感できるようになりたいと願う自分がいる。

   (宮古ペンクラブ会員・看護師)

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