ぺん遊ぺん楽


百年前へ誘われて

花城 千枝子(はなしろ ちえこ)


<2005年11/11掲載>
 これは、私の作り話です。{歴史資料として第一級と言われるニコライ・A・ネフスキーの宮古島方言資料に目を通す機会がありました。文中のカタカナ及び()内の説明言葉や文は、その資料メモの中の子どもの誕生とその背景や風習。それらを元に、二人のおばの世間話し風にしました}。

A:「今年は最初の子と五、六年の年差で、二番目の子が生まれたとよくきくよ」
B:「ジャウムヌ(喜ばしい)。バガ(我の)隣にも、ハランマキ(悪阻)パランピトゥ(妊婦)がいる」
A:「そのパランピトゥのストゥマンマ(姑)は、ナスッヴァ(赤ちゃん)とナスヴィ(母体)の安産を毎日、ニガイ(願い)しているサ。ピカズ(良い日取り)もよくわかるおばあだから、シラユー(白くやわらかいごはんを炊いて親近者に子どもが生まれたことを知らせる)やナーチキ(名をつける)やトゥカンティ(出産日から十日満ちた誕生祝いの日)の吉日も決めとったが、なんとユーガンウルス(三カ月ごろ、赤子の髪にはじめてハサミを入れる)日も決めてあるそうだよ」
B:「ノーガラ、アワティンマリ(まったく気が早い人だ)」
A:「良いことはピャーピャー(早急に)と決めるのがいいってさ。トゥカンティの朝、赤ちゃんにアガイティダ(上る朝陽)を拝ますユーダツ(世に発つ)のイダスウヤ(赤子を抱く親)もサダイスゥジャ(赤ちゃんを世に先導する兄)も決めているね。ッラ(あるいはイラ、胎盤)の始末の事もわかっているさ」
B:「バーヤー(私は)さっき、ノーガラピトゥと言ったけど、ドゥーヌクトゥ ウッスンツキッカッサイルン(自分のことは後頭部につくまで分からん)。ンマガ(孫)のことは、バン(私)もそのンマ(姑)と同じだった」
A:「ッファンマガー、ヤラウダキ ミノリ、スダマダキ スダリ…(子々孫々はてりは木の実のみのりのように、数珠のすずなりのように生まれ)…、と言うしね」
B:「トートゥガナス、ニーピティツ スラ(枝)ムムスゥ マタガラシ フィーサマチ(尊き神さま、根ひとつから 枝は百本に増やされることを願います)」
A:「話はかわるけど、イキマ(池間)では、ミャークズツのことスマナラスとも言うってさ。クイチャー踊りで、島中響かすからかね。人が島を成らす(つくる)からかね」
 二人は、祭祀のことを話しはじめました。
 資料の文字に、一八九二―九三の時代の伊良部の国仲村に誘われ、思うことふたつ。
 親の心も人々の子育ての心情も今も昔も変わらない。
 一級品にはそれ相応の器。貧弱な器(私)は、こぼす量ばかりが多くて(難解分)、せっかくの一級品がもったいない…。

 (宮古ペンクラブ会員・保育園園長)

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