ぺん遊ぺん楽



スケールの大きい人

渡久山 春英(とくやま・しゅんえい)


<2005年10/29掲載>
 ガッツ石松は、東京へ行って修業することになった。出発の日、畑仕事をしているお母さんの所へ行き、汽車の出発の時刻を知らせた。別れを覚悟していたお母さんは「えらい人には誰でもなれるから、立派な人になるんだよ」と言い聞かせた。えらい人と立派な人の区別がつかないままガッツ石松は別れるのであった。別れるときお母さんは、モンペのポケットから千円札を一枚出して手渡した。なけなしの餞別である。去る八月のテレビの対談の中で本人が回想していた。
 東京での一人暮らしの修業は想像を絶するものであった。金にも不自由し何度もお母さんからもらった千円札を使おうとしたが、出来なかった。千円札は使えばなくなってしまう。それは、お母さんの愛情をなくしてしまうのと同じだと思ったからである。今も大切にしまってあるそうだ。えらい人には誰でもなれる。立派な人になることを念じて頑張ったガッツ石松は、立派な人になった。何よりも子供の成長を支えたお母さんの立派な教育に拍手を送りたい。
 宮古に「武士は道端から生まれる」ということわざがある。武士とは立派な人のことである。貧乏育ちのために世間から目立たない存在の子が、苦節十年にして立派な人に成長することの例えである。信念を守り通すことへの戒めでもある。琉歌に「我ぬ童と思てぃこなしゅらばこなせ、こなし田ぬ稲ぬあぶし枕」がある。(私を子供だと思って馬鹿にするならしてみよ、踏み付けられた田の稲は穂があぜを枕にして垂れ伏すほど豊作になるのだ)…琉歌大観。苦しかった人頭税から解放されて百年、宮古は平成の世替りを迎えた。
 さて、九月三十日を以て宮古の五市町村の行政は閉庁した。併行して新市への準備も整い、十月一日には新生「宮古島市」が誕生したのである。「帆を揚げろ、錨を揚げろ」。始発港を出港した宮古島丸は、五万六千の命を乗せて、いよいよ大海へ向かった。天気よく順風だ。「羅針盤を確かめよ。耀く真太陽へ進路をとれ」。荒波に立ち向かうスケールの大きい船長、経験豊富な決断力のある立派な船長に五万六千の命を託したい。立派な船長とは荒波を乗り越える宜候(ヨウソロウ)の舵を握る人物のことである。
 ここで言うスケールの大きい船長とは、野望とか蛮勇のことではない。住民の目線に立つ広い心・豊かな心・判断力のある人のことである。さらに、遥かに見える平和の豊旗雲へ進路を向ける人、さらにさらに、五万六千市民の健康を診断する人のことである。
 私は、多良間で戦中戦後の幼い頃、心の広い人に感動したことがある。ある日の夜、私の高熱はいっこうに下がらず、宮国泰誠医師(故人)に往診して診てもらった。先生がお帰りの際、父はお金がないことを話していた。先生は「いつでもいいよ」とやさしい言葉をかけておられた。あのときの感動を忘れることはできない。スケールの大きいお医者さんでした。先生は文芸面でも立派な作品を遺された。その豊かな感性は羨望の的である。
 そもそも、スケールとは平板測量に使う器具のことである。アリダードにある針の先ほどの穴から覗いて、広く開ける視野の距離を縮尺する三角の定規のことである。農林高校で学習した。宮古農林高校は八年前から顕微鏡を覗き、土壌微生物を観察研究して、バイオの技術を駆使した肥料の開発に成功した。名誉も地位も私欲にもこだわらず、土を相手に、もくもくと、ひたすら命の地下水を守る一心で頑張っている教師・生徒たちの姿こそ、スケールが大きく立派に思えるのである。宮古農林高校は五万六千の命を守る救世主といっても過言ではあるまい。
 味噌の中の塩は大豆のタンパク質を守っている。宮古味噌の塩になる人は、宮古島市の住民五万六千の健康を守る人である。
  (宮古ペンクラブ会員・元学校長)

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