ぺん遊ぺん楽



ボニージャックスの
招待状が伝えてくれたもの


友利 吉博(ともり よしひろ)


<2005年08/31掲載>

 今は昔。伊志嶺亮現平良市長が会長、そして私が事務局長をつとめていた「宮古芸術友の会」に、突然、東京から思いがけない招待状が舞い込んできた。ソニー創業者・井深大、社会評論家・秋山ちえ子、評論家・草柳大蔵、作曲家・芥川也寸志、俳優・長谷川一夫、俳優・森繁久彌…等々、現代日本の斯界に名をはせる著名人十八名が発起人として名を連ねている、表題『歌い伝える日本の心、ボニージャックス結成二十五周年、祝賀と激励の夕べ』―の恐れ多い招待状だった。ボニージャックスの皆さんは私たち友の会が主催した「芸術劇場」公演で三度も来島していた。三十余行にわたる挨拶文に目をとおした私は、文面ににじみ出ていた歌心に対する、というよりも日本文化の今日のありように対する鋭い指摘にいたく感じ入った。
 挨拶の文面は「〜時代は今や内外とも厳しい季節にさしかかり、人々は物質的豊かさの追求に限界を感じ精神的ゆとりの模索を始めています。明治以来の盲目的な西洋文明への追随は破綻をきたしつつあります。今、世界的にも東洋の精神文化が見直され、そこにこの難局突破の糸口を見つけようという動きが見えます。『厳しい季節』の後には『新しい精神の時代』が訪れねばなりません。この時にあたり、私たちは、私たちの先達の詩人や作曲者の残した、日本の心の原点ともいうべき数々の歌を、もう一度見つめ直してみたいと思います。
 『心を打つ』のうつがうた(歌)の語源だとか。歌は感動の代名詞。歌が心であり愛であるならば、その心、その愛の継承こそが『文化』の名に価するものと思います。明治・大正・昭和を通じて先人の残した日本の心の財産を、私たちは現代のやり方で色あざやかに再現してみたいと思います。二十五周年を契機に、先ずこれからの五年、私たちは、この文化の継承を中心テーマに据えて活動する所存です…」と述べていた。
 高度経済成長の産物たる物の豊かさに、首どころか全身までたっぷり浸かって育ってきた世代、すなわち利潤追求を最大の命題とするコマーシャリズムに巧みに乗せられ、物質至上の観念を生まれながらにして植えつけられてきた世代は、精神的ゆとりを失い、物に対する欲望のみを必要以上に肥大化させてきた。反面、物不足に耐え抜く心の強さは乏しく、物欲金欲を充足するためには西部劇やシカゴギャング物語でしか見ることのなかった銀行強盗まで日常化させている。
 西洋化、中でも物質大国米国型の生活志向や消費志向が際立たせている盲目的米国化の風潮はとどまるところを知らない。風潮は巧みなメディア戦略にのって際限なくわが国の全土を覆いつくしつつある。結果として、先人の豊かな感性や情感によって継承されてきたはずの日本の歌≠熕謐ラりの状態へと押しやられており、しみじみと実感し唇にのせるのはもはや中高年齢世代のみ。若年世代が口ずさむことは皆無にひとしい時世となった。学業途上の児童生徒までが加害者となるような異常な殺傷事件が続発している今日社会を思う時、ボニージャックス案内状における指摘は今なお強く肝に銘じなければと思う。

  (宮古ペンクラブ会員・平良市文化協会副会長)

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