ぺん遊ぺん楽


東西南北の不思議

石垣 義夫(いしがき・よしお)


<2005年07/20掲載>

 南国育ちの私たちは、常に南ばかり意識して暮らしている。日本列島も、まっすぐ南から北に伸びていると思ってしまう。
 隣の八重山にしても、宮古からは限りなく南であろう。
 ところが、八重山・西表の祖納は、日本列島最西端の地として有名。南とばかり思っているのに、なぜに西なのかと思ったりする。
 沖縄の私たちは常に南北指向だから日本列島・本州の最南端は山口県の下関だと思いがちになる。
 ところが本州の最南端はとなると、そこは紀伊半島・和歌山の潮岬だという。「そこは串本、向かいは大島、中を取り持つ巡航船」と歌われている、あの場所。
 そういうことで改めて日本地図を見ると、日本列島のイメージさえ変わってくる。
 宮古はどうだろうか。宮古島は東平安名岬と西平安名岬とあるから、そこが東西の線かとなると、必ずしもそうではないようだ。
 東平安名岬あたりから陽(太陽)が昇るのは間違いないとして、西平安名岬の方向に陽が沈むとは考えられていない。
 陽が沈むのは平良方面からしたら伊良部島だろうし、場所によっては来間島であろう。
 宮古島は上野村の野原岳から平良の厚生園あたりに嶺、山が連なり、その嶺、山に添うようにして道(縦線)が東西に伸びていることになっている。
 その方向に添っていくと、宮古の東西南北は実に四十五度ほどズレてしまう。
 宮古は南を前または表、陽とし、北を後、陰として扱う風習がある。
 宮古における方角は、中央を走る嶺、それに添って伸びる道(縦線)が南北を決める目安となっているようだから、それでいくと、東まで北、後、腰とみなされてしまう。
 陽が昇る方向でありながら場所によっては北、裏、陰の方向に取り込まれるといった逆転現象さえでてくる。
 平良市・島尻に「クス」と呼ばれる所がある。宮古南静園の西側で嶺から裏にある。
 「クス」とは後、腰、越だろうから、どこからの「クス」かとなれば南の嶺からとなろう。
 似たような地名がある。平良市・鏡原の野原越。ここも、どこからの「コシ」に当たるかとなれば野原岳の嶺からとなるはず。
 パイナガマを古くは南の長浜と呼んでいたようだ。平良市街地からは西だろうが、宮古の方角からは正に南になる。
 パイナガマを南とすると腰原の「腰」富名腰の「腰」は市街地から腰、後とみたものだろうか。
 西辺方面を北部という。ところが間切時代の西原間切は大浦、島尻だった。
 これを平良からの方角だとすると、パイナガマが南。西辺方面が西。北となると東まで包含してしまい東海岸でもいいはずなのに北海岸≠ニなり浦底海岸も裏底≠セったかも知れないし、やっぱり宮古の方角は、東まで北、陰の方向に取り込む形となっている。

 (宮古ペンクラブ会員・団体役員)

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