ぺん遊ぺん楽



肉体労働は楽しい

渡久山 春英(とくやま・しゅんえい)


<2005年07/13掲載>
 教師という職業は精神労働であり、肉体労働でもある。夏の教室の中は黒板の所が最も暑く、からだ中から汗が吹き出し50分の授業では、体力の限界を超えることもある。運動場や校庭の草刈りをして学校美化に精出す教師もいる。花園やプランターに草花を栽培して、勤労教育に熱心な教師もいる。子供たちは総合学習で労働の尊さも学習している。
 10年前の話だが校庭のハイキビを草刈り機で刈っていた。危険を伴う作業だから一点に集中してゆっくり前進するのだが、どうも左足が前に出ない。エンジンを止めて足元を見ると、ヘビが左足のももまで巻き付いているではないか。右足ではヘビの頭を踏んでいた。アーッガイ、タマスがにげた。2メートル近いヘビは林の中へ蛇行して行った。
 草刈りといえば、私の左手の小指は第一関節から内側へ曲がっている。幼い頃の草刈りの勲章である。今、小指を立てて見ている。
 肉体労働を好きなのは子供の頃の農作業や、農林高校出身も原因だが、学生の頃の先生の助言も大きい。アルバイトをするなら賃金の高い駅仲仕はどうかと勧められた。ただし、重労働だからレスリング部に入って筋肉を鍛えたほうがよいとも話された。早速入部して体力増強に4年間頑張った。
 駅仲仕の仕事は蒸気機関車(D・51)で運ばれて来るビルマ米(80s)を、肩に担いで倉庫に積み上げるのである。フォークリフトのない時代であった。
 アルバイトといえば田圃の仕事もやった。田おこし、代かき、田植え、除草、稲刈り、脱穀などである。他にも正月のもちつき、運送会社のトラックの助手などの肉体労働ばかりやった。いまも菜園で鍬を振り素足で耕すのが楽しみである。ミミズが見えると土の肥沃の助っ人として親しみを感じている。
 このように働く喜びは人間に与えられた、自然の姿であり、それは頭脳的仕事も、筋肉労働であっても至福でなくてはならない。労働に貴賤はないからである。本紙の「がんずううやき」を読むと、さわやかな気分になる。それは昔のように苦労をしたいということではない。生きる力に感動を覚えるからである。「先人の跡を求めず、先人の求めた所を求めよ」の名言に心が惹かれるのである。
 先日、宮古支庁長の兼城克夫氏と、農業改良普及センター所長の本村隆信氏に45年ぶりにお会いした。兼城氏の手には子供の頃の貧しかった証の労働の傷跡が見えていた。小学生の頃から魚釣りをして一家の「おかず」をまかされていた少年である。2人の家庭は貧乏であった。戦後の苦しい生活を生き抜いた2人は今、宮古の行政の指導者として新生宮古の誕生に向け、精魂を打ち込んでいる。
 労働を愛する赤銅色の人が、ほんとの宮古を愛する人である。新市にはそのような選良たちが議場を埋めつくしてほしい。

  (宮古ペンクラブ会員・元学校長)

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