ぺん遊ぺん楽



八重山は、確かに『八重』の山々だった


友利 吉博(ともり よしひろ)


<2005年05/18掲載>

 いかに楽しそうな日程が示されても船旅となるといつも「行くべきか、行かざるべきか」とハムレットの心境に陥ったりした。原因は船酔いである。昭和○○年7月26日午前11時30分。私は八重山のパイン会社でのアルバイト生50名を引率して漲水港を出発した。ドラが鳴り、船が動き出すと甲板に群がった生徒たちは一斉にどよめいた。桟橋に集った見送りの家族や友人たちからはかん高い声が飛んできた。船上から桟橋に伸びた無数の赤・青・黄色…のテープをぷつぷつと断ち切りながら船はゆっくりと後ずさり。かと思うと急に機関の音を高め船尾の海面に白い泡を波だたせた。いよいよ出港である。舳先を徐々に沖合いに向けた船はやがて速度をあげすべり出した。

 ―予想以上に船は揺れだし潮の香が鼻をついてきた。操舵室の傍らの手すりに身をあずけながら私は船の揺れを体感していた。足下の甲板のゴザの上では女生徒5、6名が話に花を咲かせていた。時として海面がパッと明るくなり強い陽光が容赦なくギラギラと船体を包みこんだ。しばらくすると胃袋が喉元に突き上がってくるような不快感に襲われた。そろそろお出でなさったナー!と思った。楽しそうに談笑していた生徒たちも2人、3人とその場にくずれだした。髪は乱れ、顔色はなく、口は半開きの状態で横たわっている。『源氏物語』の「…まみなどもいとどたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色にて伏したる…」の一節そのものだった。舳先の方で元気にはしゃいでいる生徒数名に手伝ってもらい、かろうじてこのものはかなき桐壺の更衣≠スちを船室の風通しのよい場所へと移動させ寝かせた。

 数時間後―「えッ八重山ッ、ああ八重山八重山ッ!」と叫ぶ声が、同時にバタバタと階段を上がっていく足音がもうろうとした意識の中聞こえてきた。今にも吐き出しそうな嫌な気分のまま上半身を起こしただぼんやりと周りを見回すと、ここかしこで脇目もふらずに上陸の準備に専念している生徒たちがいた。が、多くは正体もなくぐったりと寝入っていた。そんな中、足音高く階段を降りてきた1年生のT子は私を見ると目を輝かせ、片手を振り上げながら「先生ッ、八重山八重山がッ!」と叫んだ。まるで鳥も通わぬ大海原を幾日も幾日も漂流し、食を切らし、水を切らしてもうこれまでと覚悟を決めたその時、天の救い1つの島影にめぐり合った、そんな口ぶりである。そして客室を気ぜわしく動き回り、誰彼となく「八重山ッ、八重山ッ!」とたたき起こしていた。船上から眺める八重山の遠景がどんなものか確かめるためT子から勢いを得た私は何とか甲板に出ると操舵室の方に向かった。5人の先客がいた。共に手すりにもたれ進み行く船の前方を見据えた。数羽の白い海鳥がいとものんびりと海面とたわむれている。

 「あれが石垣島ですか」―目先の影絵のような島を指さすと先客の1人は私が指さした方向を見て「いや、あれは竹富だナー、そう竹富島ですね」と言った。その隣の人は「石垣島は、ほら、こちらですよ」と操舵室の反対側を示した。濃い紫色の山を、さらにその背後に一段と高く青色を帯びて重なり合った山々を抱き、輪郭がくっきりした淡い緑色の陸地が目に飛び込んできた。反射的に「八重山」の3文字が光った。確かに山々が七重八重に重なっている。紛れもなく八重山の3文字は八重≠フ山々の実景を過不足なく言い得ていた。
  (宮古ペンクラブ会員・平良市文化協会副会長)

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