「ガテマラの高地に住むマヤ族の賢者、エコーマンは、全ての人の言葉、直感、音に対する反応を聞き、祖先の声に耳を傾け、部族の人の道を明らかにする」(バリーサンダースの本より)。
道といえば、現在、我が園の東の塀に沿って、新しく生活道路を工事中。道無き場所にできる夢の道が現実の道となる。
工事関係者は、園児のお昼寝に配慮して下さるが、どうしてどうして、元気よく遊ぶ我が園児たちは、工事の槌音を気にせず、すやすや…。おじさんの仕事のジャマもする。
たずねたがりやのUチャンは、窓にのって、測量しているおじさんとおしゃべり。
「おーい、おじさーん、名前おしえて」
「キムラタクヤだー」
「その機械(測量機器)で何が見えるの」
「鬼が村へ行く道だよ」
「豆まきの鬼は見えるか」
「見えるサ。おりこうになっているよ」
エコーマンの導きの道、生活に必要な道、子どものために作るお話のなかの道、どの道も、行先が明らかに見通せる道。
しかし、道なき未知の道を歩む人々もいる。
南米で、沖縄移民一世の高齢者の方々のために働いていたある方が、夫婦の道をきかせてくれた。
異郷で、一世たちは、苦難の生活のなか、夫婦が仲むつまじく共に生きる道を拓いた。離婚なんてなかったそうだよ。その方々は、沖縄の夫婦船(比嘉盛勇作詞 亀谷朝仁作曲)を支えにしたそうだ。どの一世夫婦も、新天地という荒海を夫は帆、妻は船心で共に風まかせの道なき道の航行をした。
その人は、古き良き時代の沖縄の心を一世夫婦に見たとも言っていた。
高齢にさしかかっている私たち団塊世代の親は、戦争で、青春もその他のたいせつな物も犠牲にし、戦後の乏しい時代に子を産み育て、世間の荒波を乗り越えてきた。私たちの親たちも夫婦船の航行のように生きてきた。
私は、親が拓いた道の足跡を歩んできたが、少子高齢社会というかつてなかった今の常識が通用しない社会を生きる。夫婦でなかよく支えあい補いあって生きている親から、二人でなら、介護保険に頼らなくても生きられるのかもしれないと、高齢の生き方のヒントのようなものを見つけているが、こればかりは、未知の道。
さて、弥生三月は卒業の月。
学校を卒業する若者たちも、各々にその数とおなじ数の異なる道を歩む。多分、まっすぐな道は稀で、狭い道、道なき道、迷い悩み歪んで遠回りの道であろう。だがどの道にも共通するのは、道の向こうの夢と大志に向かって果敢に進むこと。私には、トゥンマーイ(振り返る)はできても、戻れない道。
ズブン(生涯の時期)なズブンの道がある。
(宮古ペンクラブ会員・保育園園長)
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