ぺん遊ぺん楽


みちのく仙台便り


伊良部 喜代子(いらぶ きよこ)


<2005年01/22掲載>
 宮古島への3日間の里帰りを終え、暮れも押し詰った仙台空港に降り立つと、あたり一面の雪景色。いよいよ本格的な冬の到来である。空港近くの駐車場に預けておいた、車の雪を払い落として、いざ出発。

 雪の日の運転はスローに限る。慌ててスリップ事故など起こしては元も子もない。車間距離を充分にとって、ブレーキは早めに、何回かに分けて静かに踏む。

 車窓に広がる、雪を冠(かむ)った山々や、田畑や、街並がまぶしい。途中、雪の坂道をうまく登れず、立ち往生している車に出会った。普通タイヤのままの車だ。北国では、雪道や、凍結した道路を、安全に走るために、冬になると、溝の深いスタットレスタイヤに、取り替えるのであるが、面倒なその作業を、1日のばしにした呑気者は、突然の雪に慌てるはめになる。仙台空港からわが家まで、普段なら50分の距離を、1時間半かけて無事に帰宅。

 昨年は、夏から異常気象が続いた。比較的過ごしやすいはずの仙台の夏が、連日30度を越え、10月には、時ならぬ台風もやってきた。そのせいか、庭の果樹の実りは悪く、柿もキウイも、ほんの少ししか実をつけなかった。山の木々の実りも悪かったようで、お腹をすかせた熊が、あっちこっちに出没して、人間たちを大騒ぎさせた。

 異常気象は尾を引いて、例年なら11月下旬に降る、仙台の初雪が、12月下旬になってようやく降った。観測史上、2番目に遅い初雪とのことだった。

 ところが今度は、遅れた分を取り戻すかのような連日の雪。正月三が日も、そのあとも、雪は降ったり止んだり。雪かきが、朝夕の日課となった。夜間に気温が下がると、踏み固められた道路の雪は凍りつき、まるでスケート場と化す。つるつる滑って、歩きにくい事この上もない。

 そして身を切るような冷たい風。私の家は、仙台市の北側の、小高い丘の上にあるため、とても風通しがいい。特に冬は、15キロ程の距離にある、標高、1172メートルの泉ヶ岳から、雪まじりの強風が、うなりをあげて、吹きおろしてくる。真冬の風は、まるで鋭利な刃物だ。頬にあたると、突き刺されたように痛い。

 沖縄県人会の仲間の1人は、冬のこの寒風が、「帰れ帰れ、沖縄に帰れ」と、ささやきながら、自分めがけて吹いてくるのだと言った。その言葉に笑いつつも妙に納得した。結局、風に追われたかのように、その人は、故郷の八重山に帰って行った。

 そうかと思えば、寒さを克服するために始めたスキーに夢中になり、死ぬ程嫌だった仙台の冬が、今では待ち遠しいと、笑う仲間もいる。

 この原稿を書いている今も、窓の外は、ちらちらと雪が舞っている。ふと降り止んで、薄陽がさしたかと思うと、またふいに翳(かげ)って、雪が降り出す。ごくあたりまえの、仙台の冬の情景。仙台に住みついて20余年。寒さに弱い私は、ひたすら身を縮めて、冬を何とかやり過ごしてきた。

 しかし、そんな私を慰(なぐさ)めてくれるのもまた、他ならぬ冬の風景である。静かに目を閉じて、沈思しているような、冬枯れの雑木林のたたずまい。冬の眠りについた庭では、木々の枝という枝に雪が積もって、一面に純白の花が咲いているように見える。雪のあい間をぬって、庭に餌をもらいに来る、ふくら雀の群れ。(ふくら雀 寒気のため前進の羽毛を、ふっくらとふくらませている雀)

 凍てつく夜、雪の積もった庭や、道路や、家々の屋根に、月の光が降りそそぐと、まるで宝石をまき散らしたように輝き出す、その光景。しんしんと雪の降りしきる夜の、えも言われぬ静寂。世の中のすべての動きが、止まってしまったかのような静けさ。そんな静けさに包まれて、ひとり物思いにふける至福。

 今日も私は、寒い寒いとこぼしつつ、冷たく清らかな雪景色に、みとれている。巡り来る春を待ちながら。

  (宮古ペンクラブ会員・歌人)

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