ぺん遊ぺん楽


幸運な回復

ゆりかごをのぞいてみると


梶原 健次
(かじわら けんじ)


<2004年12/29掲載>
 先月11月末に、藻場(もば)の生物観察会をしました。案内は私がプライベートで参加している市民サークル「宮古島サンゴ礁ガイドのなかまたち」(会長・伊良波武)。参加してもらったのは狩俣中学校の生徒さんたち11名。理科の先生も一緒に来てくれました。

 藻場は「生命のゆりかご」と呼ばれています。藻場は海の中の林のようなもので、海草が小さな生きものの隠れ場所になったり、いずれ大きく育つような魚介類でも子供の時期を藻場で過ごしたりする種類があります。それを体感してみようと言うのが、今回の観察会の目的です。

 当日、天気は良かったのですが、さすが11月も末になるとだいぶ水温は下がっていました。藻場を観察するためにざばざばと海へ入って行きますが、参加者は次々に「ぎゃ〜、冷たい〜、死ぬ〜」と喚声を上げます。しかしそこは中学生、冷たいと言いつつも笑顔で互いに水しぶきをかけ合ったりしています。

 水中マスクや箱メガネを通して海中をのぞき、藻場の様子をうかがってみます。すると細長い海草がゆらゆらと砂地の上で揺れているのが分かりますが、ただ草が生えているだけで、それ以外には何もいないように見えます。海中を散策していると砂が巻き上がってしまい、何のゆりかごだか分からないような状態です。

 海草の林の上をなでるように捕虫網を泳がせて回り、海草の葉の表面その周囲にいると思われる生物の採集を試みます。15分もするとバケツ半分ほどの海草の切れ端を集めることができました。これを浜に持ち帰って水槽やバットにあけてみると、海草の切れ端の間をたくさんの小さな生きものがうごめいています。魚、エビ、カニ、ウミウシ、巻き貝等々、種類・量ともに豊富です。大きさ一aほどしかない甲イカの子供まで入っていました。藻場の中を直接のぞいただけでは想像もつかないほどの生物量です。

 これを水槽やバットから小さな容器に仕分けしていくのですが、この作業そのものが楽しくて仕方ありません。好奇心と狩猟本能をくすぐられ、誰もが夢中になってしまいます。学習会の様子を見に来ていた役所の人も、最初はさほど興味なさげに海草の切れ端をピンセットでつついていましたが、気が付くと血眼になって生きもの探しをしていました。最後には採集物を詳しく観察し、1人1人がお気に入りの生きものを選んでスケッチしました。終了後感想を聞くと、誰もが藻場が生命のゆりかごであることを体感できたようでした。

 この観察会を行った場所、実はトゥリバー埋立地の人工ビーチ前の浅瀬でのことです。この藻場は元からあったものではなく、人工ビーチ造成後に自然繁茂したものです。はっきりしたことは分かりませんが、造成からそれほど長い年月をかけずにこれだけ豊かな藻場が成立したことは、私にとってとても驚きでした。おそらく久松沖の藻場が比較的健全であることが幸いしたのでしょう。一度失われた自然が回復することは、一般的には容易なことではありません。自然再生という言葉も聞きますが、再生するための元手を残すことも十分考えなければなりません。もう残りは少なくなっていますよ、陸も海も。

  (宮古ペンクラブ会員・平良市栽培漁業センター)

top.gif (811 バイト)