ぺん遊ぺん楽

 
この子らと共に
 小さいアーキ見ーつけた!

玉元 江美子
(たまもと えみこ)


<2004年12/08掲載>
 佐藤ハチロー作詞の「小さい秋見つけた」がラジオから流れている。台所の洗い物の手を止め、ラジオの音量を上げる。
 この曲を聴くと、心の奥に大切にしまっていた2人の子どもの情景が目に浮かぶ。自然に笑みがこぼれ、子どもたちとじゃれ合ったあの時の自分が今ここにいる。

 明君と弓ちゃんは小学部2年生。大の仲良しのクラスメート。ダウン症児の2人は、双子ですか、と聞かれるくらい顔つきも体格もよく似てて、「小さな恋人たち」と呼ばれる学校中の人気者。
 登校したばかりなのに、今朝も「かくれんぼ」がしたくてたまらない。
「先生、小さいアーキーやって」音楽で習った曲(小さい秋見つけた)を催促する。
 かくれんぼの鬼さん役はいつも弓子で、教室の隅っこでゴザを被ってごろりと隠れるのは明君と決まっている。見つかるまでしっかり目を閉じて待つ明君、対する鬼さん役の弓子は両目をあけて、「もういいかい、もういいよー」と、独りで連呼するちぐはぐルールのかくれんぼ。
 「だあれかさんが、だあれかさんが、誰かさんが見つけた。ちいさい秋、ちいさい秋、小さい秋みつけた。目隠し鬼さん…」
 弓子鬼さんは歌を唄いながら、そろりそろりとアーキーに近寄り、ジャストタイミングで歌詞に合わせ「小さいアーキーみーつけた!」をするのだ。その瞬間の2人の喜びようと言ったら。声が、かすれるほどに全身で笑い転げる。何が、そんなに可笑しいのか。
 養護学校の朝は子どもの笑いで始まる。

 確かに明君は90センチ足らずのおちびちゃんだ。そんな小さいアーキーと弓子にとって、この曲は紛れもなく、かくれんぼの遊び歌だ。小さい秋=小さいアーキーであり、小さい秋見つけた=かくれんぼで小さいアーキーを見つけた瞬間の ミーつけた! なのだ。
 子どもは遊びの天才で弓子と明がじゃれ合い笑い転げる姿もありふれた子どもの情景なのに、この子たちの笑い声に包まれると、養護の教師になれた幸せを実感し子らの愛おしさが増す。

 染色体異常(ダウン症)の障害に加え重い心臓疾患や口蓋裂などいくつもの障害を負う弓子。入学当初は学校を休む日が多く教室に子どもの笑い声が聞こえない日が何日も続いた。弓子もまた何度も入退院を繰り返す「病院の子」だった。

 1年生の夏休みに、家族は覚悟の上、心臓の大手術を敢行。手術は成功し、弓子は元気に学校に戻ってきた。手術の成功は、みんなを安堵させ学校中を喜び一色に染めた。私たちはくす玉と垂れ幕で弓子を迎えた。
 「どうして、神様はこの子に、いくつも障害を背負わせるのでしょうか。こんな小さい子を何回も手術台に乗せる親が他にいるだろうか。替わってやることもできない。弓子、ごめん、ごめん、といつも心の中で謝って泣いている」

 出生時からいのちの心配を宣告され、一日一生の思いで我が子との日々を看取る親の苦悩。障害や病気を受容する道のりは重く遠かったろう。
 「弓子がこんなに元気になれたのは神様からのご褒美と思ってるから、毎日仏壇に向かって「有り難う!」と拝んでいる。学校に毎日行けるのが嬉しくて」
 小さい体で生きようと頑張った弓子へのご褒美!
 子どもに涙を見せず、世間の同情と憐れみをまともに受けながらも、笑顔で頑張る母さんへのご褒美!
 子どもは親の鏡という。明るくて、やさしくて、人を和ませる笑いの天才少女・弓子を育てたのは紛れもないこのお母さんなのだ。

 養護で出会った2人を思い出しながらこのエッセーを書いている。どうしてるかなあ。明と弓子の笑い声が今にも聞こえそうだ。
 元気でお母さんやお父さんを笑わせているといいなあ。子どもの笑い声が漲る家庭。
 いっぱい笑って親孝行してね。そして元気で

                        (元担任より)

   (宮古ペンクラブ会員・沖縄県立宮古養護学校校長)

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