ぺん遊ぺん楽

 
誰もが必ず通る道

久貝 勝盛
(くがい かつもり)


<2004年11/24掲載>
 グリム童話の中に「片隅のおじいさん」という話がある。
 息子の家族と同居している1人のおじいさんの物語である。耳もよく聞こえず、目もよく見えないおじいさんは、食事のたびに、食べ物をこぼしてばかりいる。時には器を落として割ってしまうこともある。息子夫婦は愛想をつかして、部屋の片隅のストーブの陰で、この年老いた父親に食事をとらせることにした。そして割れることのない木の器を与えた。

 ある時、自分の小さな息子が、木片で何かを作ろうとしていた。父親が何をしているのかとたずねると、息子は答えた。「僕がおおきくなった時に、お父さんとお母さんが使う入れ物を作っているのだ」。そんな事があって以来、老いた父親はテーブルで家族と一緒に食事をさせられるようになった。家族も二度とストーブの向こうで食べるようにとは言わなくなった。

 この話を読んで皆さんはどう思うでしょうか。私も「いずれ同じ道をたどり、そうなるかもしれない」。こう気づくことが、人に同情し、人を思いやる道である。

 今、まさに少子、高齢化の時代である。人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(平成14年1月)によると、わが国の65歳以上の人口は以下のようになるという。

 昭和45年(1970年)には739万人で総人口の7・1%であったものが平成17年(2005年)には2、500万人を越え、総人口の19・9%、さらに平成52年(2040年)には3633万人となり、総人口の33・2%に達するという。少子化、核家族がすすみ、家族の人数が減って、逆に高齢者だけの世帯数が増えてくるということである。

 松尾芭蕉は「蝉が鳴く神様が巻いたゼンマイの数だけ」と詠んだ。野生動物はゼンマイが切れると誰の世話にもならずいさぎよく自分の一生を終える。しかし、人間は違う。人は誰もが必ず通る「老い」という道に遭遇する。誰しも「ねんねんコロリ」ではなく、「ぴんぴんコロリ」で生涯を閉じたいと思う。ところが、必ずしもその願い通りにいかない所に人間なるが故の苦悩がある。その苦悩を少しでも和らげるためにはどうすればよいだろうか。いろいろ考えてみたがやはり教育である。行き着くところは心の教育である。思いやりのある教育、相手の心の痛みがわかる教育、それこそが、今、教育に求められている最重要課題である。

 かつて、動物学者のグドール博士は「地球上の60億余の人が1つゴミを落とすとどうなる。逆に60億余の人が1つゴミを拾うとどうなる」と言った。私はそれをもじって「地球上の60億余の1人ひとりが介護と福祉に関心を持ち、自分の身近なお年寄りに一声優しい声をかけてあげるとどうなる」ということでこの拙文をしめたい。
  (宮古ペンクラブ会員・平良市教育委員会教育長)
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