ぺん遊ぺん楽


クビキル ○オクレ


照屋 盛(てるや もり)


<2004年10/16掲載>
 敗戦間もない頃の話である。宮古は言うに及ばず県全体いや日本全国戦争によって食物を初め着るもの住まいまで喪失し、疲へいし切っていた。宮古では、主食のサツマイモはバイラスに見舞われ、着るものは、バシャギィンであった。

 そういうきびしい状況下にあっても宮古には、アララガマ精神で貧しさから脱したい一念で向学心に燃え他府県へ渡り勉学に勤(いそ)しんだいわゆる苦学生が多かった。若いときの苦労が結実し、現在では社会の第一線で活躍している方がごまんとおられる。

 ある苦学生の話である。彼は、健康に恵まれ毎日勉学にアルバイトと毎日が充実し、生活は順風満ぱんであった。ところがあるとき首に何か異様なもの(おでき)を察知する。急いで病院へ駆けつける。診察の結果手術を要することを告げられる。

 彼は、取るものもとりあえず郵便局へ駆けつける。手術に要するお金が欲しいことを家に伝えるためである。承知の通り貧乏学生にじゅんたくに使えるお金があるはずはない。やっても無駄だと知りつつ打電したことは、想像に難くない。

 なけなしのお金をはたいて打電する。公共料金には、基本料金というものがある。電報も例外ではない。彼は、基本料金におさめるために電文をどうしようか四苦八苦する。その末「クビキル ○オクレ」の電文を案出する。

 したり顔でこの電文を家へ打電する。家族は大あわて、春秋に富む青年を今亡くすには早すぎると考えたのかさっそく「クビキルノハマダハヤイ」と返電したという。今日でしたら一笑に付される話かも知れない。

 ちなみに以下のような誤解を招く電文もあったと聞く。「ハハキトクアンシン」これは、あんしんという名の人が自分の母親の状態を打電したものと受け止めるのが一般的だと思われる。紙ふくのつごうで詳細が記せないのは心残りがする。

 電信が世に出てからおよそ160年しかならない。短期間で飛躍的発展をとげた電信技術は、携帯という画期的なものが登場し画面には、相手の顔まで映るに至っている。近年は、演歌まで選曲出来るものまで出回っている。

 電子科学の進歩は、止まることを知らない。このまま進んでいくと人間は、電子に支配されそう。しかしもの事は考えよう使いよう電子にできるものは、それにさせる。むかし主役であった電報は、近ごろ忘れられた存在になった。正に隔世の感がする。

 形あるものには、影がある。即ち形は正、影は負である。正の側面をいかに拡大し、負のそれをいかに抑制していくかはこれからの課題だと考える。何ごとも拙速(せっそく)に答えを出すのではなく衆知を結集することがベターだと思う。

 今日一歩あした一歩と前進を続け、一部の人々だけでなく世界の人々が、物質的にも精神的にもこの世に生まれてきて良かったという世の中でありたい。

  (宮古ペンクラブ会員・無職)

top.gif (811 バイト)