ぺん遊ぺん楽



味 噌 と 塩

渡久山 春英(とくやま・しゅんえい)


<2004年10/13掲載>
 人間は味噌を食べておれば健康だよと、子供の頃よく聞かされて育った。子供の頃と言えば「いもはだし」の時代である。一汁三菜とか一汁五菜とか今の時代は、レストランのメニューはともかく、コンビニまでもファーストフードの選り取り見取りの飽食の世になった。くどいようだが、いもはだしの時代の食事は一汁一菜にもならなかった。

 畑仕事の昼休みの食事と言えば、いもと味噌だけだった。アキノノゲシは生のまま、野菜の代用食として、味噌をまぶして食した。キシノウエトカゲやミフウズラが捕れたときは、天にも登るほどよろこんだものである。食事の後は水を飲めば満腹だった。

 貧しい生活ではあったが、どの家でも味噌だけは絶やさなかった。味噌がめが幾つあるかで当時は暮らしの目安にもなっていた。

 先人たちに科学的な知識があったか知る由もないが、味噌造りには栄養学・醗酵化学・微生物学を、生活の知恵として身につけていたことは確かである。麦を蒸してこれにコウジ菌を繁殖させ、黄色のコウジ花が現れる頃に大豆を蒸してつぶし、これに塩とコウジ菌を混ぜて「かめ」に仕込むのである。1週間もすればかめの中は熱くなり、かめの口まで盛り上がり醗酵が進んでいるのがわかる。完熟味噌ほど風味があることは言うまでもない。

 子供の頃から食べ馴れてきた宮古味噌は、匂いを嗅ぐだけで家庭に満足感を覚えるのである。実は、この美味しい味噌の味は目に見えない塩のはたらきだそうだ。

 さて、味噌の原料である大豆は、豆類の王様といわれるくらいタンパク質に富んでいる。この貴重なタンパク質を守っているのが塩である。味噌の中の塩は目には見えない。換言すれば、塩は目立たない存在だが、塩がなければタンパク質もその効用を発揮できないと言うことになるのである。

 人間の社会にも味噌の中の塩に例えられるような人たちがいた。一生を通してその道一筋に、他人の褒め言葉や忠告にも聞く耳をもたない人たちであった。一心不乱に我が道をゆく偉人たちは、ナイチンゲール・マザーテレサ・瀬長亀次郎などがあげられよう。舞台俳優の藤山寛美は、幕を閉じた後には必ず愚直の文字の垂れ幕を掲げたそうだ。去る7月の参院選の当選者の中にも愚直を座右(ざゆう)の銘(めい)としている人がいた。宮古に英雄と言われる人は、あの人頭税から農民解放に立ち上がった頑固一徹の勇者たちであろう。ちなみに愚直の反対語は「狡猾(こうかつ)」と辞書にはある。

 私は、以前からこの小さな島の小さな行政区画の線引きを気がかりだったから、市町村合併には諸手を挙げて賛成である。未来の子供たちに広い海のような心に育ってほしいからだ。しかし、今となっては「宮古は1つ」の美しい言葉はなくなった。将来、宮古味噌の塩になる人はいるのだろうか。

  (宮古ペンクラブ会員・元学校長)

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