ぺん遊ぺん楽
神ぬどぅ見いうぃばどぅ
垣花 鷹志
(かきのはな たかし)
<2004年09/29掲載>
私は母から、「神ぬどぅ見ぃうぃばどぅ」(神様が見ていらっしゃるからね)と聞かされながら育った。次のような話を聞かされたことがある。
台湾の疎開から帰って間もない頃何処もかしこも食料難の頃だった。畑もなく、ヤミをする衣類もないわが家は悲惨なものだった。母はよく、昔の知己を訪ねて添道
(そえどう)
あたりに口に入る物を分けて貰いに歩き回っていた。その日は、何軒訪ねても芋 1つ譲ってもらえなかった。日暮れの道を、お腹
(なか)
をすかして待ちわびている子供たちのことを思って心が重かった。
ふと見ると、道の向こうで犬が何やら鼻でつついている。近づいて見ると、犬の鼻の先にあるのはバーキ(かご)だった。何だろうと思い、「んじ、んじ、んなきみーる」(ドレ、ドレ、どいてごらん)と、犬に声をかけてそのバーキを返してみた。鰹のナマリ節が 2本あった。「ああ、我
(ばん)
ぬばあ、神様
(かん)
ぬど助きふぃうぃ」(ああ、神様が私のことを助けて下さった)と喜び、手にした。そして、その中の 1本を、「ハイ犬
(いん)
がま、くりゅう見つきぃたんはうわ、バーキを返したんは我
(ばん)
、あしばどぅ、うわとぅばんとぅ、ぴてぃつずつやー」(これをみつけたのはあなた、ひっくり返してあげたのは私、だから 1つずつね)と言って、1つをその犬に与えた。するとその犬は嬉しそうに尾を振りふり、去って行った。後ろ姿を見送っていると、ウタキ(御嶽)の中に消えて行った。ああ、やっぱりあの犬は神様の使いだったんだねと思ったとのことだった。
私は結婚するとき、浮気はしないと心に誓った。父の浮気のため母が苦労していたのを見て育ったからである。ドウーヌタキ(身の程)を思えばそんなに気負うこともなかったがそんな私にも危機一髪という時があった。
30代、男の盛りの頃だった。仕事の帰りによく飲みに行った居酒屋で時々カラオケのデュエットを求めてくる女性がいた。知的な中に妖艶な色気が体を包んでいる美しい他人妻だった。ある晩「帰り、送ってちょうだい」と誘われた。同じ方向なので応じることにした。途中に公園があった。「ちょっと寄っていかない?」と誘われた。酔い覚ましにいいかとこれも応じることにした。しばらくの沈黙の後彼女の息遣いが荒くなってきたかと思うと「 3つ条件を出すから、私を抱いてくれない?」と身をすり寄せてきた。「夢中にならないこと」「誰にも言わないこと」「一度だけ」。申し分のない条件である。
しかしふとあの幼い頃母から聞かされた「神ぬどぅ見ぃうぃばどぅ」ということばが聞こえてきた。咄嗟
(とっさ)
にあとひとつ条件を加えましょうと言った。「お互いのパートナーに了解を得ましょう」と。すると彼女は「バーカ」ということばを残して去って行った。今でもアタラカだ(惜しか)ったなあ、プリムヌ(バカ)だったなあ…と後悔が横切
(よぎ)
るが、お陰で還暦過ぎまで操を守り通すことができた。
40年近く罪を犯した人たちとつきあう中で「たーんまぃ見ぃうらんさぃ」(誰も見ていないから)という悪魔の声に誘われて罪の淵へと滑り落ち、もがき苦しんでいる人たちをなんと多く見てきたことか。そういう姿を見る度、どのような貧しさの中にあっても、いつも、神を思い、「神ぬどぅ見ぃうぃばどぅ」と生きてきて来た母の後ろ姿を思った。法律を厳しくし網の目を細かくすることよりも大事なことがあることを思った。
(宮古ペンクラブ会員・琉球大学非常勤講師)