ぺん遊ぺん楽

ピルマス主婦の
ヤマノミー便りふたたびA


いどがわにホタルが来た夏


相田 恵美子
(あいだ えみこ)


<2004年08/20掲載>
 東京西部の多摩川の源流にほど近い町。そのなかの小さな集落に私たち家族は住んでいる。少子化のご多分にもれず、年々子どもの数は減っており、現在、中学生3名、小学生12名、それ以下の子がなんとゼロである。

 多摩川の本流から歩いて5分という場所にある集落だが、学校からは「遊泳禁止」のお達しがあり、子どもたちは川辺を横目で見ながら、電車に乗って学校のプールに通っている。観光客の水難事故が毎年のようにあり、天候の変化で川の流れが急激に変わったりするなどのことを思えば、やむを得ないことなのかも知れない。

 今のご時世、子どもたちを安心して遊びに送り出せる場所が少なくなった。この辺りも例外ではない。しかし、最近この集落にすてきな「いこいの場」が出現した。

 集落のちょうど真ん中にあたる場所に、通称「いどがわ」と呼ばれる小川が流れている。通りかかるだけで、自然のクーラーがオンになったように涼しい風が流れてくるこの小川の源泉は、集落の山上にある湧水で、氷水のように冷たい。その源泉にポンプを引き、各家庭に「沢の水」として送られているピカピカの天然水である。源泉近くには、天然記念物である「トウキョウサンショウウオ」などが棲息し、昔はワサビ田もあったとのこと。かなり山深い場所で、途中に「熊出没」の看板があったりするので、私はまだ一度も行った事がない。

 実はこの「いどがわ」は、昨年までほとんど藪に覆われた状態だった。暗く鬱蒼(うっそう)としたその様子に、通りかかっても目を留めることはなかったのだ。

 それが、子ども会の役員であり、生まれも育ちも「地元っ子」であったヒサオさんが、いどがわ整備の話を呼びかけ、それが口火となって親や地域の人たちの協力を得ることとなり、作業が始まったのが1年前。それに先立ち、町や地域の老人会の手によって、いどがわのほとりに桜やつつじの苗木を植えていただいたことも刺激になっていた。思いはただひとつ、「子どもたちに残せるいどがわにしたい」ということ。木を伐採し、草を刈り、石をどける。少しづつ暗雲を払うように、明るいせせらぎが聞こえる小川へと、いどがわが変わっていく。伐った木の枝を掃い、長さを整えて杭を作り、それを地面に打ち込んで、小川のほとりに降りるための階段ができた。見違えるほど、すてきになった。

 泳げるほど深くはないが、水遊びをしたり、沢ガニ、魚をとったりするには十分。子ども同士でも安全な工夫をした。しかし、むしろ嬉々としていたのは親たちのほうで、作業のあとの一杯で盛り上がったのは言うまでもない。

 それから、いどがわにホタルが光を放つようになった。ホタルのえさになるタニシやカワニナを放したのも、子ども会の親たちだ。闇夜に飛び交うホタルの光は、どこまでもほのぼのと温かい。夜毎に子どもたちといどがわに出かけ、見物した。

 私の実家がある成川にも、台風一過限定の小川があった。台風の大雨の後、泥水がゴォーゴォと流れ、暫くすると水かさが減り、きれいな水になる。ゲンゴロウやオタマジャクシを獲って遊んだものだ。水に濡れた草が足にべとついたときの気持ち悪さや、オタマジャクシを山ほど獲って家に帰って、母に怒られたことなど、記憶の中にある。

 親の目線で物事を見るとき、必ずといっていいくらい、子どもの頃の思い出が交差する。前出のヒサオさんも、「この沢の水は日本一うまい」と豪語するが、それはこの水とともに育ってきた自信からなのだろうと思う。

 今年の夏、東京地方は記録的な猛暑となった。涼しさを求めての観光客も、心なしか増えているように感じる。いどがわの涼を運ぶさわやかな風が台所の窓から舞い込む夕暮れどきは、都会の人に対してほんの少し、優越感が持てる至福のときでもある。

    (宮古ペンクラブ会員・主婦)

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