ぺん遊ぺん楽


コックリさん

松原 清吉(まつばら せいきち)


<2004年08/07掲載>
 今から59年前の昭和20年8月、肉親を戦場に送り出した家族は、先行きの見えない不安でうっとうしい毎日を過ごしていた。
 戦争は終わったというのに戦地に狩り出されたまま消息が分からなくなった夫や兄弟の身を思って居ても立ってもおれないような精神状態におかれていたからである。

 その頃、宮古にちょっと変った占いが流行(はや)っていた。「コックリさん」占いである。コックリさんを漢字では狐狗狸さんと表記すると習っていたので日本古来の狐信仰だろうと思い込んでいたが、今辞典で調べると当て字とある(国語大辞典)。さてその占い方だが、これも国語大辞典によると「3本の竹を中ほどで縛り、それを三脚架のように開いて、その上に盆をのせ、3人の者がその周囲にすわって各自の右手で軽くその盆を押え、1人が祈祷(きとう)などをしながら、盆が自然と動き出したとき、その動き方によって物事を占うもの」とある。

 わが家では、白い大きな紙(今で言えば模造紙か)に円を作って「いろは」48文字を書き並べ、その上に前記のような三脚を立てて占った。年かさの者が「○○さんは、戦争に行ったまま消息が分かりません。どうしているでしょうか」と問うと、3人で押さえている三脚が動き出し、紙の上の文字をたどり、その文字をつなぎあわせて言葉にするという占い方である。

 県庁に勤めていた長兄が沖縄戦に巻きこまれ、行方が分からなくなっていたわが家では毎晩のようにコックリさん占いをした。それこそ真剣に占いの答えを見つめていた母親の姿が今もって忘れられない。コックリさんの外にも「ユウラ=夜占(ヨウラ)という占いもあった。この占いは、黄昏時に道に出て、一番はじめに耳にする人の声で自分の気にしている事を占うものである。たとえば一番目に「きょうは大漁だったよ」という隣家の声が聞こえると、この占いは大吉で胸を撫でおろすという具合だ、そんなこんな占いが盛んにはやる程、人の心は不安に揺れていた。

 第二次大戦中、沖縄本島に米軍が上陸したのは昭和20年4月1日。その日から3カ月余、全国唯一の地上戦場となった沖縄では日米双方の死力を尽くした激戦が展開され、罪もない婦女子や住民が命を失った。当時学業に志し学園生活を送っていた中学生や師範学校生、女学生までが動員され、軍人以上の犠牲を強いられた。あのひめゆり学徒隊は今も広く語り継がれる戦争悲話だが、そのひめゆり部隊を引率していた仲宗根政善先生(故人)は、私の大学時代の主任教授である。

 あれやこれやを思うと、8月は私にとって悲しい月である。私だけでなく、昭和1けた以前の人たちは、ほとんど同じ思いに違いない。8月15日は終戦記念日、何を記念する日かは知らないが、この頃何かしら「戦さのこわさ」を知らないような政治家の動きが気になって仕方がない。

   (宮古ペンクラブ会員・元校長)

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