ぺん遊ぺん楽


鹿児島散策

石垣 義夫(いしがき・よしお)


<2004年08/04掲載>
 鹿児島を訪ねたとき、幸いなことに宿泊したのは城山観光ホテルだった。

 城山は100メートルそこそこの、決して高い山ではないが、鹿児島の街を形成するには、手頃な高さなのだろう。
 鹿児島の市街は、この城山を中心に形成されていて、その城山の方から街の方に、いくつかの道が伸びている。
 城山には楠(くす)の大木が茂っていて、昼間でも薄暗い感じがするほど緑が深い。
 そこに、生活道や遊歩道が無数にあって、たえず人で賑わう。

 すぐ目の前には、まるで湖のような錦江湾を抱きかかえるように桜島がそびえ、城山から眺める鹿児島の街並みは実に絶景。
 城山観光ホテルは、その山頂、中心の所にあって、鹿児島の街並みを一望できるところにある。
 2泊3日、暇を見て、城山のあたりを歩きまわることができたのは、贅沢な旅であった。

 何の予備知識もないまま、ただ歩いていた時、島津公の居城であった鶴丸城跡にたどりつくことになった。
 今は、その一部に県立図書館があるが、戦前は第七高等学校造士館があったと史跡説明にあった。
 蓮(はす)が生い茂る堀には城壁が残っていて、そこにも西南戦争の時の弾痕が残っていた。
 城山は、西南戦争の最後の激戦地だったとのことで、そうした史跡がある。生麦事件をめぐる薩英(さつえい)戦争の跡をたどることもできる。

 朝の早い時間に、ぶらぶら歩いているうち西郷隆盛最期の地≠ニの標識の立っている場所にでくわした。
 何の変哲もない場所だけに、これが、あの歴史的な場所なのかと不思議に思ったほどだった。
 3万にふくれあがっていた西郷軍も、城山に帰りついた頃になると500人足らずになっていたという。
 近くに西郷が籠城(ろうじょう)したとされる洞穴もあって、その洞穴にもいられず退却をしている時に、弾が西郷の太腿を貫き、西郷は、どっと倒れたという。
 やがて立ちあがった西郷は「晋どん、晋どん、もう、ここでよか」と首を差しだして泰然と瞑目し、別府晋介が後にまわって最期を遂げさせたという。

 西郷最期の場所とされた場所から坂道を上って行った時、風変わりな小屋が重なり合う場所にでた。
 あちこち迷路のようになっていた小屋群には、質素な銭湯がいくつもあって、好きな場所が選べるようになっていた。
 そんな機会は、めったにないだろうというわけで、人気のない風変わりな銭湯に浸(つ)かることになった。

 城山を中心とした鹿児島は、手軽に充実した旅ができる格好の場所といえる。

 (宮古ペンクラブ会員・平良市史編さん委員)
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