ぺん遊ぺん楽



自然と植物と水

渡久山 春英(とくやま・しゅんえい)


<2004年07/23掲載>
 宮古の自然を愛して止まない、本永英治氏の「宮古島の自然雑感」の本紙への寄稿は12回を数えた。昨年11月26日の第1回から、今年の6月30日の第10回までを総括すると次のようである。(1)サシバの渡りの神秘と、人々の心に潤いを与える宮古島の自然。(2)宮古島固有種の「ミヤコトカゲ」に会い、開発に疑問をいだいている。(3)自然は、貧乏も金持ちも関係なく島の人みんなの共有できる財産だ。(4)目はブルーで尾の長い「サンコウチョウ」との感動の出会い。(5)「ヤブニッケイ」と人々の生活との関わり。(6)苦労して覚えた「ヤンバルアカメガシワ」の枝振りは芸術的だ。(7)「蔡温」の森林政策と、木を育てる心の教育。感受性を養い、畏敬(いけい)の心の教育。(8)長い人生を経験した老婆の話。美しい故郷の言葉で自然を表現する楽しみ。(9)台風に負けない「クロヨナ」は宮古の島木にしたい。(10)ハワイの「ガジュマル」と「モクマオウ」は宮古のそれより大木。生育する自然環境にちがいがあるのだろうか。
 以上、まえおきが長くなったが、本題の「植物と水」について考察したい。

 カナダの自然風土は、森林国だけあって木の高さが、百米を超える広大な樹海に覆われているそうだ。そう言えば国旗も「カエデ」の葉をデザインしたものである。
 私は、1970年の大阪万博を見学した。岡本太郎の「太陽の塔」に迎えられて、2日がかりで世界の国々を旅行する気分を満喫した。とりわけ、カナダ館は天を突くほどの巨木のパビリオンだった。

 さて、生理的に、植物の根に入った水や養分は「維管束(いかんそく)」という器官を通ってからだじゅうに運ばれるが、一体、百米を超す高い木の末梢まで、どのような仕組みで、どのようなはたらきで水を届けているのだろうか。

 (1)能動的か
 根には、末梢まで水を押し上げるポンプのようなはたらきをする器官があるだろうか。

 (2)受動的か
 それとも、末梢には、水を吸い上げるポンプのはたらきがあって、吸い上げられているのだろうか。

 (3)毛細管現象か
 乾いたタオルの端を水につけておくと、やがて、タオル全体濡れてしまう。これが毛細管現象であるが、これと同じはたらきで、水は植物体に届けられているのだろうか。(動物なら心臓というポンプの働きがある)。

 根に入る水の量と、葉から蒸散する水の量のバランスがとれておれば、植物の生育に心配はない(動物も脱水症状は危険だそうだ)。宮古の土壌の表土は浅い。従って保水力も弱い。旱魃は植物にとって大敵だ。宮古の自然風土に生きた先人たちは、十日越の雨を請い願い、声を合わせ、島を守った。天の恵みの雨を待っているのは植物かも知れない。

  (宮古ペンクラブ会員・元学校長)

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