ぺん遊ぺん楽


ス マ フ シ ャ ラ


照屋 盛(てるや もり)


<2004年07/14掲載>
 宮古諸島には、種々様々な祭祀がある。スマフシャラやパーントゥは、その1つである。前者の呼び方行われる時期は、地域によって多少異なる。卑近な例を挙げる。スマフサリャまたはスマフサラ(一般的)ツノウサラ(西原)。

 多良間島の時期は、「秋祓(あきばら)い」と称して旧暦9月である。この祭祀は、人里へ疫病や悪霊が侵入してこないようにという思いを込めて行われるものである。仕方は、初めに屠殺された豚の各器官や臓器の一部を切断し、クパンと称して皿に盛り各お嶽に供える。

 つぎに村と田畑の境にある高木から高木へと道を横切って左撚(よ)りの縄を張り、中頃に豚の骨(なま)を結ぶ。処理は、成り行きに任せる。すなわち縄が強風にあったりして切断されるまで放置される。

 すべての祭祀は、十二支と十干また十二支と陰陽五行説とを組み合わせて行われる。これ等は、代表的な中国文化である。私たちは、無意識のうちに彼の国のそれに浸っている。祭祀に関わるごとにそのことを痛切に感じる。

 宮古は、他の地域と比べて祭祀が多いといわれる。そのことには、2つの要因が考えられる。1つは、島全体が琉球石灰岩で出来ていて地味が痩せ作物の稔りが良くないこと。2つ目は、過去において天災や疫病が猛威を振るったことである。

 ちなみに宮古の歴史に名高い天災や疫病をいくつか列挙する。まず1884年子年飢饉(にんてぃやーすぅ)当時の人口は、およそ4万人その半数近くが餓死したといわれる。1852年7回に渡って台風襲来。同年コレラ流行。
 1854年天然痘、マラリア、はしかの流行と立て続けに天災や疫病が雲霞(うんか)の如く押し寄せ住民を苦しめた。阿鼻叫喚(あびきょうかん)のちまたと化したことは、想像に難くない。人間は弱い存在である。これだけの災難に見舞われると神にすがりたくなるのは人情である。

 スマフシャラについて述べてきたが、その起源はつまびらかではない。この祭祀には、「強烈な臭い」で人里へ疫病や悪霊を入れないように阻止するという奇想天外な観念と神への祈りがある。

 人間の本質や願望(健康で長生きしたい、無病息災でありたい、いつまでも若くありたい)は、どんなに世の中が進歩しても科学が発達してもまた物が豊かになり生活が楽になってもさして変わらない。
 これらのことは、人間の意志ではどうにもならないことである。だから目に見えない神様へお祈りするほかはない。まさに人生は、「インシャラー」である。

  (宮古ペンクラブ会員・無職)

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